28

優しく諭す

 先輩の作戦は間違っていなかったのかもと思った。一之瀬さんがなんだか元気がなかったからだ。廊下に歩いている時もなぜか一人だった。放課後も練習に来なかった。
「大丈夫?」と声を掛けられて、窓から校庭を見ていた一之瀬さんが振り向いた。
「部活に行かなくてもいいの?」と聞かれて、
「無視されるのよ。本当にひどい」とぼやいた。
「そう、昔ね。同じ目にあった子がいたんだよ」
「ふーん、そう」気のない返事で外を見ていた。
「彼女の場合は、がんばって出ていたよ。君もそうした方がいいよ」
「面白くないのよ」
「何かあったの? 僕でよかったら聞くよ。話した方が楽になることもあるから」と相手が優しい笑顔で言ったので、その顔をしばらく見ていた。
「どうした?」
「違う。あなたって、分け隔てなく話してくれるから。みんな、同じように扱ってくれたらいいのに、あいつってば」
「そう、なにかあったんだね?」
「あいつと話しているとイライラする。でも、話さないともっとイライラする。なのに、あの子……」と言って黙った。相手は優しい顔で待っていた。
「なんだか、このところ上手く行かないのよ。成績が悪かったせいで親は急にうるさいし、あいつは変な噂になっているし、おまけにあの子は、山崎君と身の程知らずのくせに付き合って、あいつとまでいつのまにか仲良く話している」
「そう」と相手に穏やかに言われて、
「こんな事話してつまらないわね」と一之瀬さんが言ったら、弘通君が首を振った。
「言いたいことは言っておいたほうがいいよ。言いたいことが溜まっているのかもね。そういうのは上手く発散しないと」
「発散したかったわよ。こてんぱんにやっつけてやりたいのに、途中からサーブが決まらなくて、ペアの子も下手でイライラする」
「そう」
「おまけに練習方法を私に無断で勝手に変えて、言いたいことも言えなかったくせに生意気なのよ、あの女。佐倉し」と言いいかけて、弘通君がちょっと反応したのでやめていた。
「そう、それで」と言われて、
「そうねえ。聞きたくないか。あの女の話。振られたんだものね」
「違うよ」と弘通君はやさしく言った。
「ふーん、あなたって優しすぎない? あなたを利用したんでしょう? そう聞いたことがある。友達から取り上げて」
「違うよ。彼女はそういう子じゃないよ」と優しく言われたため、さすがの一之瀬さんも反論しようとしてやめた。
「笑顔ってどうやって作ったらいいのか、教えてよ。あなたのような笑顔になったら、あいつが振り向くかも」
「じゃあ、最初にやることがあるよ」
「なに?」
「深呼吸して」
「え、でも」
「まず、落ち着くといいよ。そのほうが素に戻れるよ。怒っていたら、いい笑顔はできないからね」
「それはあなただからできるのよ。私なんて、どうしても怒れる方が先で」
「違うよ。これでもね、納得できない事はあるんだよ」
「え、そうなの?」
「受け止め方の違いはあるのかもしれないけどね。僕の場合は心がけていることがある。怒る前に深呼吸。おじさんにそう教わったんだ」
「おじさん?」
「おじさんの仕事は、結構、ストレスが溜まるからすぐに気持ちを切り替えて冷静にならないといけないんだって。昔、学級委員というか、そういう事をしていた時に、どうしても対処できなくて困ってしまってね。その時に教えてもらったよ」
「そうなんだ」
「だから、結構、どんな場所でも使えると思うよ」
「どんな場所でもって?」
「テストとか、受験もあるからね。それから、緊張する時、発表とかで日頃の成果を出したい時、力が入りすぎると空回りして、普段どおりにできないと困るだろう? だから、そういう時の呪文。『力を抜いて、深呼吸』一度、試して見るといい。それから、笑った方がきっと、相手も喜ぶと思うよ」
「え、どうして?」
「どんなに綺麗な子や、かわいい子でもね。怒ってばかりいると台無しになっちゃうんだよ。君はかわいいと思うから、もっと笑った方がいいね」と言われて、
「やだな。お世辞を言って」と満更でもなさそうで、
「どうして? 嘘は言わないよ。笑っていた方がいいと思う。少なくとも僕はそうだから」と相手が優しく笑ったので、一之瀬さんもつられて笑っていた。

「何かが怖い」とそばで男子の後輩が言って、別の男子につねられていた。
「痛いって」と小声で言っていたのを田中君が笑っていた。
「一之瀬の変化は、やはり、恋だな」
「恋? 王子にか? しかし、あれはちょっとなあ」と言い合っていた。一之瀬さんがなぜか機嫌が直っていて普通にしていたからだ。
 女の子は今日は普通にしていた。さすがに昨日は露骨過ぎたから、逃げる事はやめた方がいいだろうと話し合ったからだ。二年生や一年生に聞かれて、『昨日だけの緊急の措置だから』と小平さんが答えていた。
「恋愛すると女は変わるとか?」
「一之瀬さんの場合は、難しいと思いますよ。すぐに怒り出す気がします」と結城君達が言って、
「お前ら、練習しろ」と掛布君が注意していた。千沙ちゃんに小声で何か言っていて、うなずいていた。緑ちゃんは何度も話しかけていたけど、掛布君は上手くかわしていた。
 休憩中に一之瀬さんが、小平さんに何か言っていて、
「どうしたんだろうね」と美鈴ちゃんが見ていた。やがて、こっちにやってきた。
「一之瀬さんも基本の方に混ざってやるそうだから。組み分けを変えましょうか」と小平さんが提案してきて、百井さんが、
「この間、やってみたのが感触がよかったから、取り入れてもらえるといいけど」と言ったため小平さんが湯島さんとうなずいていた。
「そのほうがいいかもしれないわね。そういうことで、顧問では役不足だから、時間がないので私、湯島さんが主にノートをつけるわ」と言ったため、
「なにするの?」とみんなが聞いた。
「欠点強化を取り入れたいの。一人一人メニューを変えて組み立てた方がいいと言われてね。もちろん、人に指図されたくないと言うなら、自己流でもかまわないわ。残り時間30分ぐらいを予定してるの。サーブならサーブ。レシーブ、ボレー、基本の徹底的見直しをしておいた方がいいということになったの」と言ったため、
「えー!」と言ったのは緑ちゃんだけだった。
「え、みんなは異論がないの?」と驚いていた。
「あなたは関係ないじゃない。どうせ、2年生と一緒でしょ」と元川さんが素っ気無く言ったため、
「ひどいなあ」とぼやいていた。
「それから、それぞれのペアで相手の欠点を直してあげてほしいの」
「え?」とさすがにそれには相良さんや一之瀬さんが驚いていた。
「他の人には言われたくないかもしれないけれど、一度、そういうことはしておいた方がいいと思う。本来なら顧問がやるべき仕事を私たちは自分達でやっていかないと回っていかないから。百井さんから、提案があってそれを取り入れたいの」
「ふーん、また、佐倉さんじゃないの?」と前園さんが気に入らなさそうにしていたら、
「こうこ、そういうことは言うのはやめたって言ったじゃない」と千沙ちゃんに注意されて、
「そうだったわね。ごめん」と謝ったので、本宮君効果はすごいなと思った。
「その話は前から私たちはやってたの」と百井さんが説明した。
「私たちの場合、直してほしいところ、相手のいい点悪い点をはっきり教えあおうと約束していて、試合や練習の合間に確認はしていたの。それから、欠点強化と実践で使える練習も個人にやってきていたの」と教えたため、
「えー!」とさすがにみんなが驚いていた。千沙ちゃんが、
「なんとなくそうかなとは思った」と言ったため、美鈴ちゃんがうなずいていた。
「ただ、それを部活全体のことにしていったほうがいいと思ったから、提案したの。前だと風通しが悪くて、そんな雰囲気にさえなかったから言わなかっただけ。そういうことでお願い」と百井さんに言われて、
「一部、異論が出てくるかもしれないけれど、修正はその都度していくつもり。ただし、裏での嫌味言いがかりはやめてください。後輩から苦情が出ています」と小平さんに言われて、一之瀬さんが、
「ふーん」と軽く言った。
「一之瀬さん、もう、そういうのはやめた方が」と千沙ちゃんが取り成すように言ったら、
「いいわよ、別に。怒るならやめてもらった方がいいと思う。雰囲気を悪くされるのは私には理解できない。練習したいなら参加、気に入らなくて引っ掻き回したいのなら不参加。ハッキリしてください」と珍しく美鈴ちゃんがはっきり言ってしまったため、さすがにびっくりしていたら、一之瀬さんも驚いていたけど、一瞬拳を握ったあと、
「やるわ」と言ったため、みんながほっとため息をついていた。
「悪かったわ。確かにこのところ機嫌が悪くて八つ当たり気味だった。ごめん」と謝ったので、
「え?」とみんながびっくりしていた。
「笑顔でがんばるわ」と言ったので、唖然としてしまった。

 拓海君に一之瀬さんの変化を報告したら、
「なるほどな。あいつに頼んで正解だ」と笑った。
「何を頼んだの?」
「試合で力が入りやすいから困っているとか、テニス部での態度が目に余る事とか、色々言った。とにかく、なだめてくれと頼んだんだよ。あいつにしか、もう、頼めない。しかもばれると困るから電話で頼んだ」と小声で言ったので、そういうことだったんだと思った。
「そう、じゃあ、聞かない。向こうにも聞かないほうがいいね」
「あいつは上手だな。その辺、永峯とは違うな」
「優しい人だもの」
「勉強しないといけないから、巻き込みたくなかったが、仕方ないよな。あの先輩の作戦は最後はどうだったんだろう?」
「多分、ほっとけと言ったかも知れない。そういう部分は冷たいよ、あの人」
「そうだろうな。そう言いそうだ。フォローなんてしないだろう。強さを弱めて、それだけだったのかもな。ただ、あいつの場合は安心できないよな。すぐに八つ当たりするようだから。また、気に入らないことが起これば同じことがあるかも」
「そうなの?」
「多分、お前と王子が一緒に帰ったからだぞ」
「そう言われても」
「面白くなかったんだろうな。家に行ったと言われたらね」
「素直に言えないのかな?」
「好きだとは言えないんじゃないか。よく、話しかけるようになるだけ。俺も堂島も戸狩も同じだったから」
「そう」
「告白はしないのかもな。するのは芥川タイプ」
「あの人、自分から言うの?」
「言いそうだぞ。王子に言ったのか?」
「ああ、そう言えば時間の問題だと言ってたよ。冗談かもしれないけど」
「ふーん、じゃあ、気があるのか。なら、いいけど」
「え、どうして?」
「お前は気にしなくてもいい。それより、成績表を見せてもらってないぞ」
「ははは、忘れましょう」と笑って誤魔化したら、
「俺のは見なくてもいいのか?」と聞かれて、
「うーん」と悩んでしまった。
「分かりやすいヤツ。今度、爺さんちで見せ合おうぜ。模試の結果も見せてもらわないと」と言われて、
「え、それは待って」と言ったら、
「なんだよ、都合が悪いのか?」と聞かれて、
「えっとね。もう少しだけ待って」と言ったら、
「なんだか、内緒が多いよな。お前、あいつには相談するなよ。俺に言えよ」と言われて困っていた。

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