山積み

 ね、眠い。と思いながら起きた。ここまでの疲れがどっと来て、珍しく寝坊をしてしまった。父が怒りながら、
「どうして朝食の用意が」とぼやいているのが聞こえたため、起きた。うーん、あの分では私がいない間も何もしてなかっただろうなと思った。あれでも一人暮らししていた時期もあったのに、すっかり忘れているようだ。
「詩織、ハンカチにアイロン、あー、靴下がないぞ」といきなりドアを開けたので、
「きゃあ」と慌てて布団をかぶった。さすがに父も困ったようで、
「悪い」と言って部屋を一旦出た。向こうではノックするのが普通だし、レディファーストの扱いをところどころでしてもらったせいか、父の行動が今までと違って、なんだか呆れてしまう。ちょっと行っただけでこれだと、向こうに行ったらすっかり染まりそうだなと思った。日本人の男の人は失礼なところがあると母が怒っていたけれど、なんとなくわかる気がする。
「なんで、ハンカチがないんだ。アイロンかけておいてくれなかったのか?」と部屋の外から聞かれて、
「いつものところにないかな?」と聞いたら、
「いつものところはどこだったっけ?」と言われて、
「はいはい」と言って起き上がった。

「疲れた。時差ぼけってあるね」とボーとしていたら、
「ジェットラグは人によるぞ」と半井君に言われて、
「ジェットラグ?」と聞き返した。
「日本に帰って気が緩んでいるな。簡単な言葉は英語を使うように。俺との会話はそうしなさい」と命令されて、
「はーい」と答えたら、にらまれてしまった。
「霧さんは?」と見回したら、
「あいつは来ない。呼ぶ必要はない」と言われて、
「えー」と言ったら、
「あいつは受験勉強はしない。一緒にはできない」
「英語の勉強は?」
「別のやつにしてもらえばいい。あいつに教えるやつなんていくらでもいる。綺麗だからな」
「ふーん、そうなんだ? やっぱり付き合えばいいじゃない」
「お前、なにを聞いていた? あいつとはずっと友達だと言ったはずだ」
「そうだっけ?」
「いつか、返事しろよ」
「返事って? それより、こんなに積んであるけど」と教科書の山を指差した。
「ああ、それは俺の分も入ってる。お前の宿題を出す参考にしたくておいた。アメリカの歴史、社会などは初めてやるから本が届いたら、読むように」
「日本語版からでいいんでしょう?」
「質問をするから、答えられるようにしておけ」
「えー、そんなにすぐは読めないよ」
「大丈夫だ。その後、英語バージョンのをやれよ。アメリカの教科書は分厚いし読みにくいから、注意しろよ」
「できるかな?」
「やりますと言え。OKでもいい。It is OK?」と聞かれて、
「yes」と答えたら、
「『OK』か、『That's all right.』ぐらい言え」とにらまれてしまった。
「OK,boss」と言ったら、笑い出して、
「俺は上司かよ」と笑っていた。

 英語検定の勉強など、自力でできるものはできるだけ家でやるように言われて、なぜか数学をやらされていた。
「貸せ」とテスト問題を解いたあと、半井君が答え合わせしてくれて、その間休憩していた。
「まったく。やっぱり。予想通り」とにらまれた。
「半分しかできてないじゃないか」と言われてしまい、
「ごめんなさい」と謝った。問題集に丸をつけられて、
「明日までにやってくる範囲だ」と言われてしまい、
「えー」と抗議したけどにらまれてしまった。
「宿題出すから、ノート出せ」と言われて、怖かったので慌ててノートを出した。簡単な英作文をやってくるように言われて、
「これが出来るようになったら、今度は質問の答えを書き出す練習をしろよ。添削してやるから」
「え、どういう意味?」
「お前の場合は徹底的にやらないと間に合わない。英語に慣れるしかないからな。英語でどう答えようか分からなくなると萎縮するだろうから、フレーズを練習しておいたほうが良さそうだから。テープ聞いて覚えてたって身につかないさ」と言われてしまい、確かにほとんどとっさに思い浮かばなくて、全然駄目だったなと落ち込んでいた。
「慣れたらエッセーも書かせるからな」
「エッセーですか?」
「書くコツがあるから教えてやるよ。仕方ない。俺、ここまで親身になって教えるの初めてだぞ。ただでやったことがないし。あいつと違って」
「ただ?」
「お小遣いをこつこつ親の手伝いをしたりして稼ぐ。駐在員の子は勉強で忙しいか、遊んでいるか、部活もないから、どこかのクラブに参加したりはしてたけど」
「そう言われたらそうだね」
「向こうじゃ、お小遣いたっぷりのお坊ちゃま以外は自力でひねり出すしかない。俺たちの場合は向こうに長くいたから、そういうところで小遣い稼ぎするんだよ」
「どうやって?」
「宿題を手伝ったり、代筆、通訳、栄太は交際したいという相手との仲を取り持ってた」
「えー、それはちょっと」
「もちろん、金銭のやり取りしたらうるさいからランチ券と交換。あいつなんてそれでかなりお金を浮かせてデートしてた」
「そうなんだ?」
「先生に見つからない程度にそういうことはしているさ。そうでもないとデートできないぞ。お金がないデートでもいいと言ってくれる相手ならいいけど、中にはプレゼントとかで決める女がいるからね。駐在員の子どもでいたんだよ。かわいい顔をしていて、モテて、栄太も何とかデートしたくてね。ただ、向こうの女はおごらせてプレゼントだけもらって終わりということは少ないから、さすがに目に余ったけど」
「どう言う意味?」
「気がない相手にはきっぱり断るぜ。だから、結構へこんでた友達が多かった。向こうはハッキリしてるよ。確かにじらしたり気のあるそぶりをして見せる子も何人かいた。おまえと同じように真面目なタイプもいて、交際しても手も握らせないほどの堅い子もいたけどね」
「え、嘘?」
「そんなのはこっちも同じだろ。お前と霧は違うからな」
「そう言われたらそうだね」
「でも、プレゼントは受け取る。食事だけなら、でも付き合う気はない、なんて、失礼なことはさすがにしないぞ。お前のクラスの女がそうだって聞いたぞ」
「誰?」
「鏡のなんとかって」加賀沼さんだ。ありえる。
「そういう子もいたのかもしれないけど、そういう事をすると評判が悪くなるからな」
「だって、複数とデートするんでしょう? 同時に」
「ああ、それね。お試し期間ってやつだ。こっちはそういう事をすると浮気者になるらしいな。向こうだと普通。浮気したかどうかはステディになったら、言われるかもな」
「ステディ? 聞いたことはあるけど、お母さんも教えてくれなかった」
「徐々に教えていくよ。とにかく、やってもらわないとな。本が届いたらやれよ。俺もかなり処分しちゃったからな。本屋の大きいところに行って、色々用意しないと」
「赤瀬川の近くの本屋だとあるみたい。尾花沢さんにそう聞いたから」
「なるほどな、一緒に行こう。お前は数学と英語、英会話、現地での準備、俺は試験勉強しないとな。手続きもしないといけない」
「間に合うかな?」
「また、日本に帰ってきてから弱気になる。『間に合わせよう』だ」と怒られてしまった。

 昼食を作らされてしまい、
「おやつにホットケーキ」と言われて睨んでしまった。
「子どもじゃないんだから」
「作ってくれ。向こうじゃ、作ってくれない。シリアルとミルク置いて終わり」
「え?」
「そういう国だよ。ランチだってこっちのお弁当とは比べ物にならないぞ。向こうではランチがあったけど、こっちはないから、しかたなくパンばかり持って行ったら、『お弁当作ってきて上げます』って言い出した女がいた。さすがに断ったけど」
「パンなの? そういう子って、確か先生が」
「ああ、指導は受けるみたいだな。仕方ないさ。さすがにお弁当は前日に作ってくれるようになって冷凍しておく。それを温めて持っていくけどな」
「お母さんが?」
「あの母親が作るわけがない。外食しかしてなさそうだ。家政婦さんだよ。通いだから夕方には帰るし、日曜は来ないし」
「そう」
「掃除と洗濯、料理作って帰っていくだけ」
「そう、いいね」
「どこがいいんだよ」
「誰か人がいるのがうらやましいと思っちゃっただけ、ごめん」と謝ったら、しばらくしてから、
「ごめん」と半井君が謝ったので、驚いた。
「珍しいね」
「そうだよな。お前は一人でいるんだものな。俺はいないほうがせいせいするけど、お前は違うからな」
「にぎやかだった時代があったからだと思う。最初から誰もいなければそう思わないかも。母、おじいちゃん、おばあちゃんと順番に会えなくなって、父と暮らしてはいるけれど、仕事で遅いし、飲んでくるし、休日は友達と遊びに行っちゃうから」
「ふーん。どうしてだろうな?」
「子どもに関心がないんだよ。自分優先なんだろうね。それも気づいてなかった」
「似てるのかもな」
「なにが?」
「俺たちはね。俺も途中で気づいて、ぐれてた時期があったし」
「嘘?」そう見えない。
「あったよ。もっと小さい時にね。あの女が家に入ってきた時期は特にね」
「だって、小さかったんじゃないの?」
「小さかったから傷つきやすいんじゃないのか?」と質問で返されて、何も言えなかった。
「気まぐれだったよ。子どもに優しくするってタイプじゃない。自己中心的、お金が大好き、着飾るのが大好き、パーティー好き、そういう女。そういうのが毎週のように友達を家に連れてきたり、騒いだりしたら環境としては良くないからな。俺は週末遊びに出かけていたよ」
「危ないんじゃないの?」
「そうだろうな。何度か危ない目にはあった。家出もしたよ。バスに乗って遠くに行こうとしたり、ヒッチハイクでもしてどこかに行こうとした時期もあったよ」
「そんな……」とうつむいたら、
「ごめん。お前だとどうして、言っちゃうんだろうな。まぁ、いいや。母親みたいなものだろう」
「は?」
「こっちのこと。早く作れよ」と台所から出て行ってしまった。

「洗濯物の山ね」と半井君がご飯を食べたあとに笑った。帰国してからの話をしていて、父が結局、何もやっていなくて、食器と洗濯物が山積みになっていて、呆れたということを報告していた。
「そんなんで説得できるか? 家政婦雇う余裕ってあるのか? 学資金までいるぞ」
「知らない。多分ない。この分だと、日本にはほとんど帰れないかもしれない。お小遣いも少ないだろうし」
「忙しくなるからな」
「そうなの?」
「宿題をやらないといけないからね。慣れてきても俺たちと同様の小遣い稼ぎしか無理だろうな。あれもカンパという名目で」
「カンパ?」
「俺たちはそう呼んでいたけどね」
「ふーん、意外とそういうことはしてたんだね。半井君ってよく分からない」
「栄太も俺も要領はいいぜ。あそこに住んでいたらそうなるさ。適当にかわしていかないとお前のところのように上品な人ばかりじゃないから」
「そうだったの?」
「栄太がそうだったから、俺も影響を受けた。アメリカ人で人がいいやつがいてさ。友達の宿題も手伝ってあげているやつがいたわけ。ところが、そいつがこづかいを稼がないといけなくなり、バイトをし始めて、やる人がいなくなったわけ。ちょうどいいから俺たちが代行してた」
「代行?」
「エッセー代筆」
「おーい、それって宿題を代わりにやるってことじゃない」
「見本だけ書く。後はそいつらが書く。もっとも丸写しもいたけど」
「おーい」
「親が手伝わないとアメリカ人でも大変なんだぞ、向こうの宿題。だから、親も手伝えないような駐在員の子どもから引き受けていただけ。練習になったお陰で俺は結構いい点数がもらえていた」
「自慢にならないよ、それ」
「こっちはそういうことはしないのか?」と聞かれて、
「そう言えば男子はおごってやるから、宿題うつさせてくれと言ってた」
「ほらみろ、その感覚は一緒じゃないか」
「そう言われたらそうだけど。そう言えば、もう、嘘は言わないでね」
「嘘なんてつかないさ」と言われて思いっきり睨んだ。
「あんなひどい嘘はちょっと」
「ひどい嘘?」
「『lover』 愛人じゃない」
「おい、それも含まれるけど、あれとは意味が違う」
「知ってる。そういう関係ってことでしょう?」
「大人の関係ね」とはっきり言われてしまい、うつむいた。
「その辺の違いは結構聞かれるから教えておいただけ。自分で調べないと身につかないぜ」
「え、でも、辞書を引こうとしたら止めたくせに」
「そうだったな。悪い」と大して悪くなさそうに言ったため、
「呆れるんだけど」と睨んだ。
「あいつにそう聞かれただけだよ。ガールフレンドも恋人だけど、もっと大人の関係をわざとふざけて使ってただけ」
「もう」とうつむいた。
「もっともガールフレンドもそう取られる場合があるな。ガールフレンドとは言わず、『my baby』と言ってたやつもいた。さすがに『sweet heart』は俺は抵抗があったけど」
「え、どうして?」
「僕の子猫ちゃんとか、かわいい僕の彼女だよ〜という感じに思えて、俺の性格と合わない」
「それはちょっとね」
「俺は一時期、大人の付き合いをしているとあいつは誤解してたからな」
「誤解?」
「でも、違うかもな。そういう関係にはなってたから」と言われて、さすがに顔が赤くなった。
「うぶなやつ。それぐらいは早いやつは早い。遅いやつは結婚までしない」
「え?」
「結構真面目なやついるぜ。そういうことに厳しい親が時々いるから。遊んでるやつは遊んでるから、お前とか日本人は誤解するけどね」
「私も誤解してるかも。向こうのテレビドラマって簡単にキスしてたりするから」
「ああ、あれね。家族や親しい友達とはしてるかもな。俺たちはそこまでできなかった。調子がいい栄太はしてたけど、さすがに日本から来てるから抵抗あるだろう? 親はしてないんだから」そう言われたらそうだった。
「学校内でもしてないよね?」
「してる。恋人としてでき上がったカップルはしてるぞ。その辺でいくらでも。高校はそうだった」
「やっぱり、そうじゃない」
「だから、そうじゃないやつもいれば、そういうやつもいるって話。彼女や彼氏候補はいっぱいいても、カップルとして成立していないケースもいくらでもいるさ。栄太は誰と付き合ってるか分からないぐらいいたぞ。ああいうやつって、一人と仲良くしないから聞かれるんだよ。俺に聞かれても困るけど、本心聞いてくれってさ。自分で聞けばいいものを」
「境界線はどこなの?」
「たまーに、リング交換とかしてたりするみたいだけどな。俺たちの周りじゃしてなかったぞ。せいぜい、口でそういう事を言ってる程度。高校なら多いかも。最も、別れるケースも多いけど」
「そうなんだ?」
「日本と同じだよ。こっちと違うのは『デートに行こう』と誘うか、『付き合ってください』と申し込むかの違い。日本は申し込んでオーケーしたあとは、どこから恋人になるのか知らないけど」
「楢節さんの場合はあいまいだよ。だって、デートぐらいならきっと複数同時進行もありかも」
「ふーん、向こうだと普通だけどな」
「その辺の違いが分かりにくい」
「結構聞かれるんだ。『こう言われたけど、どういうニュアンスなの?』ってこと。『どういう気持ちで言ったのかな?』は多い。『俺に聞かれてもそいつじゃないと分からない』って言うんだけど、日本の女って聞くのが恥かしいらしいな」
「気持ちは分かる」
「お前も危ないよな。はっきり聞けよ。後でもいいからな」
「『どう言う意味で言ったの』と聞いて、しらけないかな?」
「しらける」と即答したので睨んだら、
「……場合もある」と訂正していて、
「しらける場合、それは、『どうしよう? 言ってみようかな? でも、断られたら』とか、そこまで真剣じゃない気軽に言ってる場合だ。簡単に言えるやつなら、簡単に『忙しいからごめんね』で、納得するからな。お前の場合は気づかないだろうけど」
「母と同じ事を言う」
「ふーん。そうか」
「『どう言うつもりかしらね』と言ってたよ。ジェイコフさんにもなにか言ってたみたいだし」
「聞き取れるようになるまでがんばれよ」
「もう」
「それぐらい自力でやれ。『もう一度お願い』と何度でも聞くぐらいでないとどうする」
「じゃあ、もう一度言ってよ」
「☆お前といるといつも笑えるんだよ。快適だしね。いつか、付き合わないか?」と早口でまくし立てられて、
「聞き取れないし、あの時と出だしが違うし、ガールフレンドが入ってないし」
「なんだよ、ちょっとは聞き取れてたんじゃないか。まぁ、いいや、時々言ってやるよ。テスト代わり」
「えー、なんだか歯がゆいよ。教えてくれないと、こう、胸にもやもやが」
「☆恋で、もやもやしてほしいもんだ」と英語で言ったため、
「また、わからない」とぼやいたら笑っていた。

一緒に静かに勉強していたら、いきなり下の階がうるさくなった。
「ご帰還だな。しかたない、行くぞ」と立ち上がった。
「え?」と言ったけどさっさと部屋を出てしまったので、慌てて後に続いた。
「あらー、お帰り」とゴキゲンな声でソファに座っている人がいた。
「昼間からまた飲んだんですか?」と半井君が口調はソフトだけど、どこか非難めいた感じで聞いていた。相手が、
「そうねえ」とわかっていない感じで、バックや服が床に落ちていた。
「良家のお嬢さんだった人が、こういう事をするのは目にあまりますよ」と半井君が拾っていた。相手はきれいと言うか派手と言うか、口が大きい人だなと思った。舞台の女優さんのような派手な顔のつくりだった。
「あら、その方はどなた?」と相手が私に気づいて聞いた。
「佐倉詩織さんです。同じ中学に通っています。受験勉強を一緒にやっているので、挨拶をしたいと思って」と半井君が言ったので、慌てて頭を下げた。
「あらー、すみにおけないわね。あなたって、やっぱりあの人の子供ね」と相手が笑った。
「澄江さん、部屋に戻って休んだらどうですか?」と半井君に言われて、
「そうねえ」と言いながらそのまま寝そうな雰囲気で、
「僕たちは勉強がありますから、これで」と言って、半井君が私のそばに来て、
「行こう」と素っ気無く言ったため、ちょっと驚いていた。
 部屋に戻るまで無言で機嫌が悪そうだった。
「いつも、ああだよ。勝手に客を連れてくることもある。アメリカにいたときと変わらないさ。親父はいつもああいうタイプを選ぶ」とちょっと嫌そうに言ったのでじっと顔を見ていたら、
「悪いな。俺はどうしてもああいうのは好きになれない。家庭的な母親がいいからね」
「そう」
「お前も俺も家庭には恵まれないよな」
「つらくないの?」
「俺も同じように心配してくれる人はいたよ。爺さんと側近と向こうにもいたよ。でも、親父の妻と言う立場の人と上手くやっていけそうもないな」
「そう?」
「お前とは違うさ。ジェイコフさんはお前のことも受け入れて心配してくれる。お前の意見も尊重してくれる良識のある人だ。うちとは違う」と言われて、何も言えなくて、
「ごめん、言ってもしょうがないよな。お前だとどうしても」
「昔、何かあったの?」
「いいよ、勉強しよう。俺はああいうのは駄目だ。見て見ぬ振りが出来ないところがあるな。トラウマかも」
「何かあったの?」と聞いたらすごい顔をしていたので、
「ごめん」と謝った。
「よけいなお世話だよね」
「母親の事と関係あるかもな」
「母親?」
「いいさ、勉強しよう。あれがあるから家に帰りたくなくなるんだよ」と言って机に向かっていた。

 かなりの時間、きまづい雰囲気が続いたあと、眠くなって欠伸をしたら、叩かれてしまった。
「痛い」
「いまいち、真剣じゃないからな」
「だって」
「もっと真剣にやれよ。数学は特に」と言われて、
「逆だってば数学だから欠伸が出るの」とぼやいたら笑っていた。
「それはあるかもな。俺も日本の歴史も国語も『ふーん』という感じだからな」
「そう?」
「一応、日本に帰ることもあるからと準備だけはさせられた。爺さんにね。長期の休みは日本で過ごして勉強させられたし」
「え、そうなの?」
「仕方ないさ。俺には勝手に期待をかけていたのか、ただ、かわいがってくれたのか」
「期待?」
「跡取りだよ。長男の家の子どもが跡取りとして頼りないと感じていたようで、爺さんはなぜか俺を気に入ってた。アメリカの高校に行かせてくれるのもそのせいだろうな」
「お金掛かるだろうね」
「そういう心配はしてないさ。母さんの遺産が相当分残ってる」
「すごいね」
「母さんの家は金持ちだったからな。政略結婚だろうな」
「え?」
「まぁ、いいや、そんなことはどうでもね」
「数学嫌い」
「好きになれ。絶対に好きなる。そう唱えながらやれよ。この問題集を全部終えないといけない」
「へ?」とびっくりした。問題集は結構分厚かったからだ。
「夏休み終わるまでにやるんだよ。宿題も残り片付けておけよ。俺はビシビシ行くので、よろしく。家庭教師代はお昼ご飯を作ってくれればいいさ。安いもんだろう」
「は? そんなに来ないといけないの? 霧さんと約束してるし」
「それ以外は来てもらわないとね」と言われて、
「ほら、時間がもったいないぞ」とまた叩かれた。

「えーん」と終わったあと、泣きたくなった。
「うるさいぞ。これぐらいで泣き言を言うな。現地校と補習校に両方通ってたやつって大変だったから、お前も向こうでそうなるぞ」
「補習校に行くのかな?」
「お前が自分で決めろ。俺はあれこれ指図されるのは嫌いだから自力組。栄太はアメリカに住んでるから行ってないし、行ってないやつもいたけど、ああいうのって、みんなが行ってるからいかないといけないのかしら?……と母親は思うらしいから、とりあえず通わせるという人もいたようだぞ」
「よく分からない」
「教育熱心とそうでない家と分かれるからな。俺は『そういうお金があるなら小遣いに回してくれ』と頼んで自力でやった口。栄太は『お小遣いがいっぱい』と言っていたが実情はそうだった。そんなにもらえるほど甘くない」
「自力でできるものなの?」
「そんなのちまたにいる、その辺の駐在員の子どもに片っ端から聞けばいいさ。中には必ずいるんだ、教えたがりのやつが」なるほど、分かる気もする。
「あっちはポジティブだぞ。そんなのは聞いたほうが早い、駄目なら次って感覚だ。その辺、霧と同じかもな。ただ、もっと自力でもやるけど」
「そうなんだ。霧さんは向いてるんだね」
「向いてないだろう。親切な男が助ける事はあるかもしれないが、自力でなんとかしていかないと無理じゃないか? 母親探しだって、園絵さんが言ってただろう? 簡単に電話番号渡して、掛けてくださいと言うより、自分の足で探すって。向こうってそうだぞ。家出人を探してくれなんて話はいくらでもある。私立探偵を雇うのも金は掛かるからな。園絵さんならきっと、言葉が話せなくても本を片手に片っ端から当たっていくだろうな。ああいう人が向いているんだよ」
「そうかもしれないね」
「誰かが何とかしてくれるようなところはないさ。やる気のある人にとっては受け入れてくれるし認めてくれる国なんだよ。落ちこぼれると誰も助けてなんてくれないぜ」
「そうなの?」
「俺の時はそうだった」
「強気な人向きなんだね。一之瀬さんとか、根元さんとかはいいんだろうな」
「お前、何か勘違いしてないか? 一之瀬、前園系はどこの国も嫌がられるぜ。協調性も大事だよ。強気なのはいいが、意地が悪いのなんて好かれる訳ないだろう」そう言われたら、そうだな。
「前向き、パワフル、めげずにがんばるタイプ向き」
「なるほど」
「一之瀬タイプがいたら逃げろ。お前は無理。キンダーだから」
「もう」
「人の真似だけは上手だからな」
「なんだか、半井君って優しいような意地悪なんだか、子どもっぽいよ」
「お前はお母さんだからな」
「は?」
「いい子でいろよ」と頭をなでていて、
「背が高いと思って、舐めてない?」と睨んだら笑っていた。


物怖じしない

 尾花沢さんの紹介してくれた団体の集まりに霧さんと参加した。尾花沢さんも来てくれて、一通り紹介してくれたあと、彼女は知り合いを見つけて話を始めた。途方にくれていたら、大学生ぐらいの男の人が、
「学生ですか?」と話しかけてきた。
「そうです」と日本語で話して、簡単な英語と日本語で会話をしていた。彼はこっちに来ている留学生で、日本の映画が好きで来たらしい。でも、「侍がいない」とショックを受けたらしくて、
「えー、それは」と霧さんと2人で笑っていた。もう一人話しかけてきた人は英会話の先生をしている人で、日本中を旅して写真を取っている人で霧さんと仲良くなってかなり話込んできたので、仕方なく移動する事にした。子どもが近くで遊んでいて、見ていて笑ったら、その子が、
「☆一緒にやろ?」みたいなたどたどしい英語で話しかけてきて、あまりにかわいいので、
「いいよ」と日本語で言ってしまい、こういう場合ってどうしたらいいのかなと思ったけど、そのままブロック遊びをしていた。彼の使う英語は短くてはっきり発音して聞いていて楽だった。でも、日本の子とは違って、はっきりしていて、
「これ、ここ」「ここはここ」とちょっと命令口調で、お母さんだと思われる女性に、英語で叱られていた。彼女が私に向かって英語で話しかけてきて、
「☆私は英語に慣れていません。どうかゆっくり話してもらえませんか?」と向こうで何度か言った言葉をたどたどしく返したら、
「☆オー、ノー、ペラペラペラ」と何か言っていた。
「頭はなでたら駄目だって言ってるわ」とそばにいた小学生ぐらいのアジア系の女の子に言われて、
「え、そうなの?」と思わず日本語で言ってから、
「sorry」と謝った。その子は、聞き取りやすい英語で相手に、何か説明して、女の人は子供を連れて行ってしまった。
「日本人?」と女の子に聞かれて、うなずいてしまい、
「yes」と答えた。相手が笑って、
「私、日本に来て2年なの。韓国から来たのよ」
「そう、日本語が上手なのね」
「お父さんの転勤。あなた、名前は?」としっかりした口調の女の子に聞かれていたら、
「詩織」と呼ばれて霧さんだったので、
「ごめんなさい。呼ばれているから」とその子に断った。
「あの子と付き合わないほうがいいって」とそばに日本人とのハーフかなと言う女の子がいて、小声で教えていた。
「あの子、日本人嫌いみたいよ。ここに来るのも日本人と付き合いたくないからだってさ」と霧さんまで言ったので、びっくりした。
「え、でも」
「最初はああやって話すんだって、でも、目上でも結構失礼だから、ここに来てる多くのアメリカや他の国の留学生も話さなくなるんだって」そう言えばそうだったかも。
「向こう、行こうよ。彼女が友達紹介してくれるって」と言って、移動していた。

 帰るときにはちょっとくたびれていた、霧さんは明るくて物怖じしないからすぐに人気者になって、囲まれていた。綺麗だから仕方ないかもしれない。私は同じ年ぐらいの男の子や女の子と話をして、お互いの情報を交換していた。アメリカから来ている子はいたけれど、田舎で暮らしていたため、「LAとは違うから」と何度か言われてしまった。真面目な感じの男の子で、恥かしそうにしていて、アメリカ人でも色々いるんだなと思った。霧さんはすっかりみんなと意気投合していて、会話も英語を何度か使っているようで、すごいなと思った。彼女は誘われてお茶を飲みにいくそうで、一人で帰ることにした。帰りに尾花沢さんに紹介してもらった本屋によって、色々本を調べていたら、
「なんだ、お前も来たのか」と後ろから声をかけられた。半井君だったので、
「あれ、どうしたの?」と聞いた。
「色々な。向こうで買って送ってもらったもの以外にも色々必要になりそうなんで見に来ただけ。お前はどうだった?」と聞かれて、
「ははは」と力なく笑った。

 いくつか本を買って、2人で帰ることにした。バスに乗っている間、今日あった事を報告していた。
「霧ならそうかもな。そいつらと仲良くなれば自然と英語を覚えるさ。もっとも恋愛だけになる場合もあるけどな」
「恋愛だけ?」
「恋愛会話に詳しくなるだけ。そういう子もいるから」
「どう言う意味?」
「愛の言葉に詳しくなるってこと。向こうの男は甘い言葉を結構言うやつもいるからなぁ。君かわいいね、素敵だよ、瞳が綺麗だね、など褒め言葉を並べる」
「へぇ、すごいね」
「お前の場合は言っても気づかないだろうけど」と言われて睨んだ。
「これからレクチャーしてやるよ」
「そういう知識はまた今度で。余裕ができてからのほうが」
「普通、反対だぞ。そういうことばかり聞きたがる。『I love youって、いっぱい言うの?』こっちに来て、何度聞かれたか。向こうでも同じだったけど」
「え、どうして? いっぱい言うんじゃないの?」
「日本人の間違いで、それも多いんだよ」
「間違い?」
「そう、『I love you.』はそんなにすぐに言わない。カップルでもめったに言わないかもな」
「え、そうなの? いっぱい言ってるかと思った」
「友達同士でふざけて言ってるのは何度かあったけどな、でも、めったに使わない。使えないぐらい結構重い」
「重いの?」
「そう、だから、こっちの愛してるって、向こうだと別の言葉で言うかもな。『I like you.』とか『I think about you .』とか『You are an important person to me.』とかだな」と早口だったので、
「早いってば」と言ったら笑っていた。
「こんな事、バスの中で言えるかよ。俺も日本人だからな」と笑っていて、
「嘘ばっかり」と呆れていた。
「あるぞ。俺はそういうのは気軽に言える相手と言えない場合とあるんだよ」
「ふーん、使い分けるの?」
「違う。軽く言ってた時代があるだけ」
「おーい、あなたは中学生だよ。いつの事なの?」
「小学生」と言ったため、
「また、からかう」と怒った。
「本当だよ。これでもそういう時期もあったさ。こっちと違ってぐれるの早いやついるぞ。荒れてる地域の子どもはそういうのもいたさ」
「うーん、よく分からない」
「うちの学校にもいるだろう?」
「そうだけどね」
「勉強は進んでいるか?」
「無理だよ。あれだけ宿題もあるし、検定の方もあって」
「仕方ないさ。みんなやってるぞ。お前の方が楽じゃないか。とりあえず書類を出せば高校は行けるわけだから」
「そう言われても」
「俺も落ちたら、考えないと」
「え、でも、他の私立は?」
「そっちも考えてはいるけどな。まだ、考え中。別のやつに手紙を書いて調べている途中」
「そう」
「お前が参加したグループでLA郡のやついるかな?」
「オクラホマとか後はねえ」
「いなさそうだな。東は寒いしな。お前のそばの方がいいからな」
「え、でも?」
「友達がいるほうが何かと都合がいいと思う。色々面倒は起きると思うから」
「面倒?」
「休暇とかそういう時にね。向こうは長いし」
「日本に戻ってくるんじゃないの?」
「サマースクールに行くつもりだし、ボランティアなども参加した方がいいから、戻るとしても短期にしておきたい」
「そうなんだ」
「お前もそうした方がいいぞ」
「そこまで余裕がないの」と言ったら笑っていた。

 家に帰ってから勉強していたら、半井君から電話があった。
「どうかしたの?」
「霧はどこに行った?」と聞かれて、
「お茶飲みに行ったんじゃないの?」と聞き返した。
「まだ戻って来ないってさ。俺は行ってないと言ってもあの母親がうるさくて、後ろでお父さんなのか、わめいていたぞ。大丈夫か?」
「結構遅い時間だね」と時計を見た。
「いいや、誰と話してたか覚えてないだろうからな。仕方ない、電話しておく」
「何かあったのかな?」
「あいつは警戒心が薄いから、会ったその日に相手の家に遊びに行きそうだ」
「え?」とさすがに驚いたら、
「そういうタイプに見えるぞ。お前とは逆だ。とにかく、何かあったら連絡してくれ」と言って電話を切っていた。

 半井君の家で、宿題の答え合わせをしていた。
「霧さんって、どうなったんだろう?」
「知るか。集中してるから話しかけるな」と言われて、黙っていた。
「数学やってろ」と言われて、
「昨日買った本を読んでるの。向こうの生活習慣とか載ってるよ。聞きたいこともあるし」
「家で読め。質問は後で聞く。数学をやりなさい」とにらまれてしまい、仕方なくやり始めた。かなりやってから、
「お前って、典型的日本人だ」と言われてしまい、
「は?」と聞き返した。
「間違えやすいのをわざと出したら、全部引っかかってる」
「え、どこ?」と聞いた。
「文法上の間違いも結構あるけどな。それ以外に必ず引っかかる部分でやってるよな。will、must、had better見事に間違ってるな」と言われてしまった。
「え、どうして?」
「みんな同じ事を言うんだよ。ニュアンスの違いって教えないか忘れちゃうのか、言い換えろ、別の表現を使えとか言う問題を出させられるから、間違えちゃうらしいな」
「えっと、どういう意味?」
「こっちって確か、『will』と『be going to』は一緒の意味みたいに思ってるだろう?」と聞かれて、そう言えば、そういう問題が出されるなと思い出していた。
「それってさ、厳密に言うと違うんだよ。ニュアンスが違う。使い方が違うからな。わざと出したけど、そうなるな」
「どう言う意味?」
「なるべく多くの単語を使いたくないのか、『have』のほかの使い方と混同するのを避けるためか、『have to』を使わないやつ多いし、『be going to』も同じかもな。外に行くって感じに思えちゃって避けるって言ってたやついたし」
「うーん、それはあるかも」
「だから、わざと出した。自分で違いを調べて書いておくように」と言われてしまい、
「自力ですか?」と聞いたら、
「自分で調べて書き出して使ったりして、初めて身につくの。人に簡単に聞いたら、耳から抜けていくぞ。霧のように」
「コメントできないよ」
「ほら、やれよ。俺がこれから言う言葉を全部調べろ」と書かされてしまった。

 お昼をまた作らされて、
「ホットケーキミックス買っておいてもらったから」と言われて唖然とした。お手伝いさんは午前中に来たり、午後に来たりとバラバラの日もあるようで、朝から来ているのになぜか私に作れと命令していた。
「何のためにお手伝いさんがいるのよ」と睨んだ。
「お前の料理の腕を確かめておきたいだけだ」
「いいよ、そんなことしなくても。必要ないじゃない」
「同棲するかもしれないぞ」
「はあ〜!」と思いっきり呆れたら、
「冗談だよ。たまには違う料理が食べたいだけ。あの人が作るといつも同じだ。俺、和風より洋風が好きだし、中華もいいな」
「和風なの?」
「親父が煮物とか食べるんだよ。それまで何でも良かったくせに年取ると油っぽいものは駄目だってさ。母親の方は肉料理好きでね。親父がいないとそういうものが多くなる」
「いいじゃない。お肉好きじゃないの?」
「まんべんなく食べるよ。向こうって最近はヘルシー志向に変わってきていてさ。肉だけじゃなくて野菜を多く食べるようになって来てる。でも、お前の作ったのを食べてみたかっただけ」
「面倒」とぼやいたら、
「彼氏に作ってやりたいとかないのか?」
「え、それは……」と拓海君を思い浮かべてちょっと恥かしくなった。
「生意気」と言って、台所を出て行ってしまった。

 食事の後に、彼はコーヒーを飲んでいて、私はカフェオレにしていた。
「爺さんがさ。日本人なら日本茶だってうるさかったよ。そう言いながら、かわいい秘書が入れたコーヒーだと飲むんだぜ。親父とそっくり」
「そうなの?」
「俺は似てないな」
「嘘ばっかり」と笑った。
「お前の場合は誤解してるぞ。模試は受けるのか?」
「一応ね。そっちは?」
「受けたくないと言ったって、受けないとしょうがないだろうな。俺は向こうに決めたから、もう必要なさそうだけど」
「先生にはいつ言うの?」
「志望の紙に書けばいいさ。わざわざ言う必要ないさ。あの人たちは俺達の事なんてやってる暇はなくなる」
「え?」
「向こうに駐在員の親に付いてくるやつで、お前と同じように卒業間近だと受験と重なるから親身に聞いてくれないらしいぞ。相談にも乗れないだろうけど。受験優先だろうな」
「そうなんだ。私も自分で調べないといけないことが多いとは思ったけど」
「東京の学校から留学してくるやつも何人かいるけど、お坊ちゃんだと私立行くし、大学からとか言うやつも多いな。ホームステイに何度も来て、長期の留学にする人も何人かいるよ。そういう人は自力で調べて親を説得してから来てるから、結構真面目。ただ、ホームステイ先とか見つからないから大変みたいだな。もっと田舎の方にする人も多いしね」
「どうして?」
「日本人が多いと、英語が上達が遅くなるから。LAだと日本人が多いし、これからもっと増えるだろうから、リトルトーキョーもあるぐらいだし」そう言われたらそうだった。
「大学生ともちょっとだけつながりはあるけど、遊びまわってたやつもいたからなぁ。卒業も危ないかも」
「え、そうなの?」
「だから、『勉強しないといけない』と自分で戒めてないと誘惑は多いぜ。毎週パーティー三昧のやつもいたからな。お金持ちのお坊ちゃんだとおこづかいも多いから、寄って来るやつも多いしね」
「そうなんだ」
「親の目の届かないところで一人でやっていくのは大変だと思う」
「こっちの学校に行くつもりだったんでしょう?」
「そのつもりだったけれど、本当は向こうで受験するはずだった」
「え?」
「ちょっとあってね」と寂しそうな顔をしていた。
「俺も残りたかったけどな」と言われても何も言えなくて、
「悪いな。お前だとどうしてか言いやすい。他のやつにこんな本音なんて話したことないな」
「伊藤さんは?」
「栄太は明るいから、情報屋として付き合ってただけ。友達は他にもいたけどな。本音で語るようなところはなかったな。プライバシーは聞かないのが原則だし」
「プライバシー?」
「『どこに住んでるの? 父さんはどこの会社? 出身地はどこ? 兄ちゃんとかいる?』 いきなり初対面で聞いてはいけない」
「え、そうなの? それって、新学期とかによく見かけるよ」
「そういうことはしてはいけないから気をつけろ。友達と言ったって、人種バラバラだぞ。おじいさんがイタリア、おばあちゃんアイルランド、お母さんプエルトリコなんて混ざってたらややこしいから聞けないだろう?」
「そんなに混ざるの?」
「何人かいるぞ。お前何系だよという顔の人。中国の人でも混ざってた人もいたし」
「なるほどね。気をつける」
「黒人と白人とのやり取りは特にナーバスだからな。住み分けしてるとはいえね」
「住み分け?」
「結構地区によって分かれるよ。昔は黒人と白人は学校は別だったと聞いたけどね。プールも入れないってさ」
「え、どうして?」
「偏見があるからだよ。黄色人種も言われる。そういう人が白人にはいるからね。話もできないかもな」
「うーん」
「お前の場合はステップファザーが金持ちで母親と2人でボランティアもしているようだから、ないかもな。駐在員だと親が睨む場合もあるし」
「ステップファザー?」
「ジェイコフさんのこと。子連れ再婚とか多いから、そう呼ばれるの。俺も同じだよな」
「そんなにあるんだ」
「結構あるの。宗教のことでもね。気をつけろよ。差別の事は特にね。お前は巻き込まれないようにしろよ」
「分かった」
「お前の先生になってるよな、俺」
「よろしく、ボス」
「面白くないよな。ボーイフレンドでいいというのに」
「ああ、それね。昨日言ってたよ。メールフレンドって言ったから、『手紙友達なの?』と聞いたら、『male』って男の人って意味なんだね」
「手紙友達はペンパル、『female friend』は女友達。でも、それ、あまり使った事ないな。全部、friendだった」
「そうなんだ。こっちではボーイフレンドはそのまま男友達だと思われているしね」
「俺たちもそうならないとな」
「はあー!」と呆れたら、
「お前の場合は真に受けすぎ。『その内、そうなるといいわね』ぐらい言っておけ」
「変な人」と言ったら、
「お前なぁ。そういうことは言うな」と怒っていた。

 半井君と勉強していて、最後に英作文の宿題を出されていた。
「よく使う短い文にしておいてやるよ。いきなり英作文だとお前はキンダーだったからな」と言われて睨んだけど、学校関係や空港関係、感情表現を出された。
「『おや、まあ』何て使うかな? 『すばらしい』とか『すごい』とか、『お休みなさい』とかなら分かるけど」
「つべこべ言わずにやってくる。ノート何冊あっても足りないぐらい出すからな。それを繰り返し言葉に出して身につくまでやらせるからな」
「はーい」と言ったら、
「返事は英語で言えるようにしてくれよ。キンダーちゃん」と言われて睨んだけど笑っていた。

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