学級委員の器
二谷さんの話題があちこち飛び交っていた。彼女は優しい性格で主役をやるには弱いと思われていたために、押しの強い子で背の高い女の子が自分が主役をやりたかったらしくて、その不満で内部分裂していたようだ。でも、彼女がこの間言い返したそうだ。「劇をまとめたいのか壊したいのかどっちなのか」と、聞かれて、さすがに相手の女の子が言えなくなったそうで、とどめが、
「『先輩って男役やった方が映える』と背景描いていた女の子達が言ったんだって。確かに似合うよね。カッコいいかも」
「やるのかな?」
「男子の役をその子がやるみたいだよ。なんだかその気になってて」
「えー、それってすごいね。今から間に合うの?」と言い合っていた。すごいなぁ。夕実ちゃん、大変そうだ。
「背景の方も人数が増えてるんだって。一年生の女の子がみんなに声をかけてね。すごいね」と言っていたので、布池さんのお陰だなと思った。ああいうのは暗い雰囲気を壊すぐらいの子が入ると違うのかもしれない。パワーバランスが変わるのかな?
「詩織さん、英語、色々覚えてるんですね。検定用ですか?」と碧子さんに聞かれた。単語帳用のノートが分けてあったからだ。
「検定と日常生活用。野菜や昆虫、動物とか生活用品とかその他色々」
「あら、すごいですね。インターナショナルスクールだとそこまでやるんですか?」と聞かれて、笑ってごまかしていた。いつか言わないといけないけどなぁと考えていて、
「困ったぞ。俺、どう考えても難しい」と言い合っていた。
「いいよなぁ。受験で焦らなくていいからさ」とこっちを見て言われてしまった。
「あら、でも、皆さん同じですわ。自分のゴールを目指すわけですもの」と、碧子さんに優雅に言われて、さすがの男子も、
「へへ、悪かった。ごめん」と謝ってくれた。
「ゴールは黒板にあるらしいぞ。そう思ってノート取れって根元に言われた。一度で覚える気合がいるんだってさ」
「そんなこと言われてもさぁ。俺にはそのゴールがまだ見えないぞ。はるか彼方先だ」と言い合っていて、碧子さんが、
「諦めなければ先は見えてきますわ。歩いても走っても進んだらその分だけ近づけますもの」と微笑んで言われて、
「そうだよな」と納得していた。
「碧子さんってすごいなぁ。なんだか、言う人が違うと何かが違う」とそばの男子が言って、それはあるなぁと思った。碧子さんも優しいし、本宮君だって本来優しい人だと言うのは当たっている気がした。でも、お似合いだと思うのに、どうしてうまくいかないんだろうなと考えていた。
「恋愛してると成績落ちる法則は間違いだな」と拓海君と問題を出し合っていたらそばの男子に言われてしまった。拓海君はまた順位を上げたようで、本郷君、仙道さんは少しだけ下がってしまったようで、桃子ちゃんはそれなりだったと言っていた。
「観野と弘通はどっち?」
「観野が落ちるわけないさ」
「鉄の女だな」と言われていて、
「やだー」と聞こえたらしい三井さんがケラケラ笑った。
「恋愛じゃなくてボランティアだから成績上がったんじゃないの? 迷惑掛けてるから」と手越さんが小声で言ったのが聞こえた。彼女は三井さんたちの奥にいて直接顔が見えない位置に居たようで、
「今、言ったの誰だよ」と拓海君が怒った。
「え?」とさすがに手越さんが困った顔をしていた。
「言ったのは誰だと聞いているんだ」と拓海君の声が大きかったため、
「どうしたんだ?」とみんなが聞いてきた。
「いつものメンバー、どんぐり組だよ。佐倉の成績が自分より上だってはっきり分かってから面白くないみたいだぞ。『二谷さんと付き合うに違いない』とか、『捨てられる寸前』とか言いふらす、ピーチクも混ざってる」と言ったのでびっくりした。みんなが一斉に笑って、
「何よ、それ、そんなこと」と手越さんがびっくりしていて、
「え〜!! 誰が言ったの?」と三井さんが心なしかうれしそうで、どうしてそういう反応になるんだろうと驚いた。
「誰だっけ? 確か、Eから流れてきた」
「俺はDで聞いた」と男子が言いだして、
「やぁだ〜!」とうれしそうだった。すごいかも。
「三井、注目されるのが好きなのか?」と男子がからかったら叩いていた。うーん、変な反応。でも、三井さんと違って手越さんは明らかに動揺していた。
「いつもそういう事を噂していたのか?」と拓海君に見られて手越さんがうつむいていて、
「もう、それ以上は」と仙道さんが止めようとしたら、
「その態度がこういう事をのさばらせてるのよ」と大きな声がしてみんなが根元さんを見ていた。
「え、でも」と仙道さんが困った顔をした。
「こういう時はきちんと注意をする。ただ止めるだけじゃ駄目」
「でも、後で注意するから」と仙道さんが言ったら、
「この子達はその場で言わないと忘れてしまうの。特に志摩子。『そうだったっけ?』と平気で言うよ。その場その場で注意していかないと」と根元さんにきっぱり言われて、
「これは勝負あったな」と男子が笑った。
「なに?」と女の子が聞いた。
「このクラスの主導権争いだよ。根元が勝ってるね。本郷も負けてるしな」と言ったため、
「何の騒ぎだ」と本郷君が戻ってきた。
「今の言葉はどういう意味だ」と男子に聞いていて、みんなが黙っていた。
「どう言うことか聞いている。説明しろ」と命令口調で言ったため、みんながひそひそ言い出した。
「言えよ」と本郷君が怒鳴ったら、
「器が小さい」と誰かの声がした。
「今言ったやつ、前に出ろ」と本郷君が怒鳴ったため、
「だから、器が小さいって言ってるんだよ」と男子が大声で言ってしまったため、みんなが唖然としていた。
「え、ちょっと……」と止めたけど、他の男子も、
「いいさ、いつかばれる事だろう? 裏であれだけ言ってるんだ。耳に入るさ」と他の男子が言いだして、
「どう言う意味だ?」と本郷君が睨んでいた。
「本郷君、怒りすぎよ。冷静に」と根元さんが止めたけれど、
「どうしてこの俺がそんな事をお前たちに言われなければならないんだ」と言ってしまったため、あちこちから、
「えー、ちょっと」「ひどすぎる」「横暴だ」と言う声が聞こえた。
「成績だってさ。今じゃ本宮と根元の方が上なんだろう?」と男子が言いだして、本郷君が拳を握っていて、チャイムが鳴ってしまい、
「はい、解散。とりあえず、終了」と根元さんが手を叩いた。
「あなたもほら促して。本郷君も冷静になって。この頃変だからね」と根元さんが席に座るように促したら、
「触るな」と本郷君が手を払って、それが女の子の顔に当たった。
「痛い」と顔を押さえていて、
「あ〜! ひでぇ〜!」と男子が大げさに言ったため、本郷君が睨んでいて、
「ほら、謝りなさいよ。大丈夫? 目に入らなかった?」と根元さんが聞いていた。
「完全に逆転してるじゃないか。クラス委員代わったほうがいいんじゃないのか」と男子が言ってしまったため、
「ちょっと言いすぎでしょう?」と仙道さんの友達が庇っていた。
昼休みにもどこかギクシャクしていて困ってしまった。拓海君は不機嫌な顔をしていて、一緒に廊下にいてもチラチラ見られるたびに、
「勝手な事を言ってるよ」と怒っていた。
「どうして、そんなに怒ってるの?」と聞いたら、
「当たり前だろ。言っていいことと悪いことがあるぞ」と睨まれてしまった。
「三井さんの反応が分からない」
「注目されるのが面白いんだろうな。人が言われても自分が言われても笑えるのかもな。成績とかだったら別だけど」
「え、そうなの?」
「成績と体型の時は怒ってた。三井はちょっと太めだから」そう言われたらそうだったな。
「卓球なら走らないから選んだらしいけど、結局話してばかりいたから、やせなかったな。ダイエット目的で一番楽な部活を選んだと聞いたが、顧問がいくら注意しても口は直らなかった」なるほど。
「そういう事を言われだしたら気持ちが分かるようになるのかな?」
「無理だろ。自分に甘いやつって、ああだから。人に言われたら嫌だけど自分は平気で言う。だからこそ、注意されても言い続けられるのかもな」うーん。
「俺にはわからないな。人の事を言う気持ちが」
「拓海君はできるからかもね」
「なんで? そういうことは関係ないだろう?」
「例えばね、どんなにがんばっても手に入らないものってあるじゃない。自分ができる範囲があるからね」
「その考えは分からなくもないが、だったら努力すればいいだろ。人の事をとやかく言う理由にならない」確かにそうだけどね。
「バレーでもセッターの子は背が低いけどがんばってたぞ。レシーブの練習を必死にやってる子もいた。背が低くてもできることはあるはずだぞ。自分のできる努力をしてないやつに人の事を笑うのはちょっとな」
「私も努力してなかったから言えないなぁ」
「それはあるな。お前はのんびりしてるからね」と笑ったので、
「もう」と拗ねた。
「あいつらの事はほっとけ。気にするな。俺がそばにいてやるから」と言われて昨日の事を考えていた。
「あのね」
「ああいうのは言いたいことだけ言わせておけばいいさ。注意したってやめないんだなと言う事はテニス部のことで懲りたからな」
「それはそうかもしれないけど」
「松永さんも大変だよな」
「どうして?」
「Dは問題児が多いからだよ。永峯もがんばってはいるが、そういう時間は取れないだろうからね」
「え、どうして?」
「前のように一人一人呼び出して話を聞いている時間はないさ。根元のようにその場その場での対処ぐらいしか方法はないさ。みんな一秒でも時間は惜しいと思ってる男子は多いし。女子だって、おしゃべりはしていても説教されたら面白くないからね。だから、ああやって言ってるようだし」
「みんなどうして、言うんだろうね」
「ストレスだと聞いた。桃にそう聞いたけど。女の子が集まる場所だと良くあるってね」
「そうかもしれないけど」
「ちょっと目に余るようになってきたから注意したけど、困ったよな。お前は気にしてしまうようだし、俺が言ってもやめないようだ」
「納得できないからだろうね。きっと、綺麗な子が相手なら諦めて」
「お前さぁ。どうして、昨日もそういう事を言うんだ。あれほど言っておいたのに」
「でも、やっぱりどうしてもそう思う。あれだけかわいいと悩みがなくていいだろうな」
「そうか? それなりにあると思うぞ。顔がかわいくても他の部分で注目してほしいと思っていたり、別の部分を認めてほしいと思ってるかもな。俺だって楢節さんには負けたくないからな」
「あの人はほっとけばいいじゃない」
「俺の意地だね。負けたままじゃ終われないよ」
「いいじゃない。あの人の気まぐれなんて、ほっとけば」
「無理。ああ言われた以上は受けて立ちたいね」
「そう言われてもね。拓海君はがんばっているし、できるんだし」
「自分で納得したいんだよ」
「強いね」
「お前もがんばればいいだろ、日本で[#「日本で」に傍点]」。と最後を強調されてしまった。
「俺のそばにいればいいというのに。何で、わざわざ苦労しようとするのか分からないな」
「いつか、いなくなったときのための準備だから」
「え?」
「おーい、山崎。止めてくれ」と男子が呼びに来て、
「またかよ」と慌てて2人で戻った。
「何やってるんだ」と拓海君も止めに入った。本郷君と喧嘩していて、根元さんがいなくて、仙道さんがおろおろしていた。
「おい、取り押さえろよ」と拓海君が言ったけれど、一部の男子がどこか冷めた目で見て止めていなかった。
「やめろって」と拓海君が本郷君を押さえて、もう一人の男子をみんなが押さえていた。
「何があったんだよ?」と聞いたら、
「本郷がまた馬鹿にしたんだよ。だから、順位の事を言いだして」
「本当の事を言って何が悪い」と説明していた男子がまだ喋っているのに、喧嘩していた男子が言い出した。
「なんだと」と本郷君が睨んでいた。
「学級委員を替えてくれと言っただけだ」
「お前になんて言われたくない」と2人がにらみ合っていた。
「俺、シンに賛成」と他の男子が言い出した。
「俺も悪いけどな。本郷の言葉は腹が立つときがあるな。成績が悪いやつの事をどこかでバカにしている。何かと言うとA組と比べる。あっちだってたいした顔ぶれじゃないのに、磯部と張り合ってるし」
「それはあるよなぁ」と男子が言い合っていた。
「何の騒ぎ?」と根元さんが戻ってきた。
「もう、あれほど言ったでしょ。この時期にこういうことはするなって。本郷君、立場をわきまえて」
「言われて黙っていろと言うのか。こんなやつらに」と言った言い方が確かにカチンとくる言い方だった。
「ほらな」と男子がうなずきあっていて、
「本郷、謝った方がいい」と拓海君が言った。
「なんでだよ」
「お前もだ。シンと本郷、喧嘩は良くない。お互いに謝れよ」と拓海君が言ったけれど、二人ともにらみ合っていた。
「はいはい」と根元さんが手を叩いた。
「喧嘩したって始まらないでしょ。本郷君は立場があるのに喧嘩した。それは悪いと思うよ。シンも本郷君を怒らせるようなことは言わない。お互いに言って解決する問題?」と根元さんに言われて、さすがに2人がうつむいていた。
「あなたもちゃんと発言しなさいよ。見守ってる場合じゃない。こういう時は積極的になだめる方に回らないと。止めたり色々あるでしょう?」と仙道さんも言われていた。
「根元がやればよかったんだよ。おとなしい仙道じゃ仕切れないね。替われよ。山崎と根元に」と男子が言ってしまったため、さすがの仙道さんがショックを受けていて、
「違うと思うよ」とちょっと離れたところにいた本宮君が言い出した。
「こういうことは起こることはこれからあるかもしれない。でも、学級委員のせいにするのはどうかと思う。自分達で選んだ以上、みんなも協力するのが当たり前じゃないかな。今はそれをしてなかった訳だから、俺達にも責任があると思う」と本宮君が言いだして、
「俺も同意見。仙道が言い出せないのは、あちこちの気持ちを考えすぎるからだ。確かに根元の方が場を納めるのは上手かもしれないが、それ以外の気配りも必要だと思う。本郷だって同じだ。成績に変動があるこの時期にもめるのは当然だし、それをサポートしてるだけの俺たちにクラス全体を見る力はないさ。そうだろ」と拓海君が根元さんに聞いた。
「そうね。全体とまとめるとなると話は別ね。こういうのが私は得意ってことなんでしょうね。人にはそれぞれ得意分野があるわけだしね」
「そうか? 根元のほうが器だと思うけど」
「私、降りるわ」と仙道さんが言いだしてしまい、びっくりした。
「え、それは」とさすがに女の子達がびっくりしていた。
「私、器じゃないもの。降りるわ、そのほうがいいから」と続けたため、
「仙道」と拓海君が声をかけた。
「ずっと思ってたの。根元さんの方がいいんじゃないかって」と仙道さんが言い出したら、
「もうちょっと考えようよ」と女の子が言いだして、仙道さんのそばに寄っていき何か話していた。
結局、チャイムがなって中途半端のままそのまま終わってしまい、本郷君は男子を睨んでいて、どこかギクシャクしたままになってしまった。
放課後、先生の所に拓海君は行ってしまった。仙道さんが「どうしても続けられない」と言っているそうで、先生と相談する事になったため、居残る事になった。待っている間、教室で勉強していたら、
「やるぞ」と半井君に肩を叩かれた。
「何でございましょう」と恐る恐る聞いた。指で合図されてしまい、仕方なく移動した。
「☆また違う。そこも駄目」と美術室に響いた。誰もいなくて、変な英語で会話していて、人が聞いたら恥かしいな……と思いながらやっていた。半井君は問題集をやっていてスラスラ解いていた。うらやましい。
「☆先生の勉強、時間、もったいないってなんだっけ?」と英語で言ったらにらまれた。
「☆だから、勉強する、一人で」
「☆めちゃめちゃじゃないか。それで通じるか、ボケ」と言われたため、
「なんだか悪口言われている気がする」と日本語で言ったらにらまれた。
「☆絵、描かなくていいの?」
「☆なんだか微妙だな」
「☆なに?」と聞いた。
「☆辞書で調べろ」とにらまれた。
「そればっかり」と日本語で言ったら、
「☆それぐらいの簡単な言葉ぐらい英語で返事しろ」
「I do not understand it.」と手を広げた。
「☆絶えず辞書を持ってろよ」
「heavy」と言ったら、
「☆聞こえてるんじゃないか」と睨んでいた。
「☆先生、勉強」
「☆お前ってさ。やっぱりキンダーだな。いつになったら小学生になるやら」と呆れていたので、
「小学生だけ聞き取れた」と日本語で言ったらにらまれた。
「最初は誰でもほとんどそうだからな。霧と同じ状態だ」と今度は日本語で言って、
「最近、やってなかったからな。テープに日常生活使うであろう会話集でも作っとけ。お前は徹底的にやらないと間に合いそうもないな。それか教室に行け」
「この近くにないよ。赤瀬川のそばにあるのは子供向け。ほとんどが小学生までで」
「それで十分だろ」と言われて睨んだ。
「親が金を出してくれそうもないよ。今も反対してるのに。自力だとしても向こうに行くための会話できるテキストって、あまりないみたいだね。ビジネス英語か旅行英語、学校用がないよ」
「留学生は少ないからかもね。旅行者だって少ないけど、そのうち多くなるかもな」
「そう?」
「なければ自力で作れ。受け答え集を自分で作らないでどうする。単語帳は作ったろ。返答用も作っているんんだから、そろそろ授業用、日常生活用も作っておけば。お前専用会話集」
「そこまで必要ですか?」
「先生の言ってることが分からないと困るからヒアリングもリーディングもレベル上げないとな」
「この間の絵本読み聞かせの会は分かりやすかったよ。日本語が多かったからだけど」
「☆お前は完全にキンダーじゃないか」と英語で言われて睨んだ。
「リーディングって、どのレベルからやったらいいんだろ。あまりに分厚い本だとめげそうで」
「新聞から読め」
「新聞?」
「あれなら、短い文もある。単語が分からなくてもいちいち調べるな。大体の流れでつかんで読めよ。絵本でも雑誌でもいいな。探せ」と言われて、
「なるほど、いい手かも。でも、手に入れられる?」
「お色気系なら持ってるやつも多いけど、そういうのは家にあったかな?」と言われて睨んだ。
「冗談だよ。お前、完全に俺の事を誤解してるぞ」
「誤解ねえ。本性隠していただけじゃない」
「☆英語で言えよ」と英語で言われて、
「yes,boss」と言ったら、
「☆そればっかりだよな」と呆れていた。
「なんだろう、あれ?」と女の子が言ったので、じろっと睨んだ人がいた。焼却炉に捨てに来た女の子が慌てて帰っていき、そこに立っていた加賀沼さんがまた、美術室を見ていた。来たばかりの瀬川さんは、
「なによ」と加賀沼さんに聞いた。
「昭子が怒りそうね。相手、多分、半井君でしょうね」と加賀沼さんが笑った。
「もう一人は?」と聞いたら、
「あなたの足元にも及ばない女」と小声で言って、
「腹が立つわね」と怒っていて、
「一度締めたら」と加賀沼さんが意地悪く笑った。
「ふーん、珍しい事を言うわね。あなた、美人以外は相手にしないじゃない」
「面白くないのよ。結局、山崎に振られなさそうだから自分から去っていかせるのもいいのかもと思っただけよ。親がうるさいのよ。私立の学校に行けって言われたけれど、ミゲールに行けそうもないからね」
「ミゲール? どれぐらいよ」
「知らない。先生に無理って言われたのよ。仙道さんぐらいでしょうね」
「ふーん、あの子、どうなるのよ」
「ほっとけばいいじゃないの。あんなの、関係ないわ」と加賀沼さんが鏡を見た。
「でも、あの子、普通に話しかけてくれるから悪い子じゃないと思うからね」
「へぇ、あなたって意外と優しいのね」と帰って行くのを牧さんが気づかれない位置で見ていた。
「☆先生、私、帰りたいです」とたどたどしく聞いたら、
「駄目」とにらまれた。
「あ、あの」と入り口に誰か立っていた。
「ああ、どうした?」と半井君が布池さんに聞いた。中に入ろうかどうしようか迷っているようで、
「あ、お邪魔のようだから帰ります」と言ったら半井君が睨んでから、
「気にしなくてもいい。幼稚園児が一人混じっただけだ」と言ったために私も睨んだ。
「え?」と布池さんが驚いていて、
「ごめん、やっぱり帰る。そろそろ、拓海君が戻ってきそうだし」
「あの男ねえ。俺と帰ったほうが勉強になるぜ」
「私のモチベーションが下がるからいいです」と言ったら思いっきり気に入らなさそうで、
「じゃあ、先生ありがとうございました」と頭を下げたら、
「英語で言え」とにらまれてしまい、
「Thank you for teaching me.」と帰ろうとしたら、
「課題」とにらまれた。
「えー、ここでも言うの?」と驚いたらにらまれてしまい、
「☆ええと、私は今日は良かったでした。明日はベストをつくします」と答えたら、
「まだ足りないぞ」と言われて、
「えー、なにかある?」と聞いたら、
「仕方ないな。もっと増やせよ」と言って解放してくれた。布池さんは不思議そうな顔で見つめていた。
戻ったら、
「遅い、どこに行っていた」腕組して睨んで拓海君が待っていた。
「待たせてごめんね」と英語で言いそうになり、慌てて、
「ごめん」と謝った。
「どうせ、あいつのところだろ。まったく、あまり行くな。あいつの場合は女がうるさくなるぞ。人気が出てきそうだから」
「どうして?」
「フリーの男、元王子、数学は得意、受験で苦しんでいる女にとってはいい相手だ。しかもウィンクが上手ときてるし、ピアノも絵も上手、バスケもできる。そういうのはいいんじゃないのか」
「へぇ、そうなんだ」と言ったら笑っていた。
「お前にはそう見えないみたいだな」
「怖すぎて無理。そういうことも考える余裕がないもの。今の私には」
「だったら、日本に残れ」
「そう言われても。そう言えばどうなった?」
「話をはぐらかして。もめてるよ。本宮も残ってくれて、なだめてくれたんだけど、泣き出しちゃってね。さすがに女の子と先生が慰めて落ち着くまで待とうってさ。俺と根元、本郷と本宮が先に帰ることになっただけ」
「そう、困ったね」
「自信がなくなったそうだ。気持ちは分かるな。根元があれだけはっきり言えるから真逆のタイプの仙道は自信をなくしたんだろう。俺は別に仙道はあれでいいと思うけどね」
「どうして?」
「あいつは気配りがあるからな。裏で声をかけていて、目だってないだけでね。根元は気づいた時にフォロー、仙道はさりげなく気遣ってフォロー。性格の違いだと思うけどね。ああいうほうが目立つから言われるのかもしれないが、本来なら本郷があの役目をするべきだと思う。でも、あいつは押さえつけるような言い方をするため反感を食らってしまって、よけいおかしくなってきてるんだろうな。本宮の言うとおり俺たちも自分で選んだのだから文句を言う前に手伝うなり何なりしたほうがいいとは思うけどなぁ。あいつ、そういうのも受け付けないタイプで。何かと目の敵にしてくれるから困ってるけどね」
「目の敵? どうして?」
「体育は苦手だから、俺や本宮の方が得意だからね。面白くないんだろうな。テストの時も点数とか気になるようで聞いてきたし、授業中も俺や本宮を意識してるように感じるから」
「そう言われたら、そうだっけ?」
「お前は鈍いよな。とにかく、あいつと会うなよ。うるさくなるぞ。これからは」
「あ、あのね」
「なんだよ」と思いっきりにらまれて、さすがに言い出せなくなり、
「分かりました。それなりに気をつける」と言ったら、
「俺のそばにずっといればいいんだよ。そうすれば苦労しないぞ」
「苦労した方がいいんだろうね。私の場合」
「もっと強くなってからにしろ。まだ無理だ。ひとり立ちするには早すぎるの」
「でも……いつかはひとり立ちしないといけなくなるもの」
「時期を今にしなくてもいいだろ。徐々にでいいさ。ずっとそばにいてやるから」と言われて、
「帰ろうか」と言ったら、
「お前、どうかしたのか? この間から変だぞ」と言われて、
「いいの、色々考えたいだけ。なんだか、こういうのって嫌だね。クラスの仲がギクシャクして」
「仕方ないさ。ライバルだと言われたらその通りだからな。考え方の違いだ。自分で納得できるラインを作ってそこに向かっていくのか、周りよりできるようになりたいとか、取り残されたくないとか、人それぞれだ。平均点がはっきり出てしまうから、その点数に左右されているのかもな」
「点数か……」
「俺はそういうのは分からない。自分でこうありたいと言う目標に向かって行きたいからね。他のやつらがどうとかはその後の問題だ」
「強いね、ミコちゃんみたいだ」
「あいつもそうだろうな。それでいいと思うぞ。本宮は人目が気になるタイプみたいだな、仙道も。本郷は先生と親が気になるんだろう。気になる人がいるとその人の物差しに合わせようとするから大変なんだろうな。親だと特に」
「そうなの? そう言えば言われたことがないから、分からないかも」
「だから、のんびりさんなんだな」
「先生もこっちに来てから言われたの。向こうでは温かい目で見てもらってたのかもしれない。みんなできているのにあなただけと言われちゃったからね。何度も何度も、それで萎縮してた時代があったから」
「いつだ?」と聞かれて歩き出した。
「いつのことだよ?」
「小学校。ある先生がそうだった。他の先生はそこまで言わなかった。優等生タイプだったから、でも、違うのかもしれないね」
「なにが?」
「後で聞いたら、その先生はみんなに好かれているかどうかがはっきり分かれていた。その先生に近寄っていた子はよく話しかけてもらっていて、それ以外の子と差があったらしいの。中学に入ってその先生の事を悪く言う子が何人かいたからやっと気づいた。そうだったんだなって」
「鈍い」
「先生だから信じていたと言うか疑ってなかったの、私。先生は間違ってないと思い込んでいた。でも、ほかの子は違った。結構冷静に見ていた、女としても」
「なんで?」
「容姿や洋服にまで話をしてたから」
「女ってシビアだなぁ。先生もライバルなんだな」
「そうなのかな?」
「お前はつくづく心配になるな。やっぱり、行くな。こっちにいろ」と言われて何も言えなくなってため息をついた。
呼び出し
瀬川さんがひそひそ見ていて、その後、教室を出て行ったので、また何か言われているんだなとため息をついた。
「碧子さん、勉強やってる?」と沢口さんが聞いていて、
「そうね、それなりよ」と答えていた。
「私も大変なのよね。親がうるさいの」と小宮山さんも困った顔をしていた。
「『クーラーつけたから受かってもらわないと』と言われて、こんなことならつけてもらうんじゃなかった」とぼやいていた。
「すげー、プレッシャーだな。俺、そういうの苦手。さっさと逃げるね」と保坂君が笑った。彼は佐々木君と仲良くなりそばに来るようになった。
「私も同じだよ。プレッシャーに弱い」
「俺も」と須貝君も言い出した。桃子ちゃんと碧子さん、佐々木君は普通にしていた。
「俺、心臓に毛が生えてるって何度も言われるんだよな」と保坂君が言ったため、うらやましいなと思った。
「佐倉は?」
「あるわけがない」と言ったら、
「そうだよね」と須貝君に言われてうなずきあっていた。碧子さんが見ていて、
「私、自信はあるわけじゃありませんけど、自分の事ですから自分で決めていきたいなと思いますわ」と言いだして、
「親に言われた。自分の責任で生きていけばいいってさ。やるだけやって駄目なら、自分で他の方法を考える。それでいいと言ってたよ」桃子ちゃんがそう言ったため、そういうものなのかと考えていた。父は何も言わない。おばあちゃんは体に気をつけてとか色々そういう方面を心配してくれる。「戻りたくなったら戻ってきてもいいから」と何度も手紙に書いてくれて、ありがたいなと思った。半井君の言うとおり、こういう人がいるから、私、甘いのかなぁ……と考えていた。
「佐倉の問題集くれ」と佐々木君が手を出した。
「それって安易だよ」と桃子ちゃんが笑った。確かに、
「自分に合ってるのを見つけて、それをひたすら最後までやるしかないと言われたから、無理」
「え、そういうのもあるの?」と須貝君に聞かれて頷いた。
「そうみたい。よく分からないの。選んでもらったから」
「よし、山崎に聞いてこよう」と立ち上がっていて、
「あ、でも……」と止めたけど無駄だった。
「ねえ、人だかりができてるね」と桃子ちゃんが拓海君が迫られているのを見て笑った。言うんじゃなかったと後悔した。
「うるさい。俺は知らん」と拓海君が怒鳴っているのが見えて頭を抱えていたら、桃子ちゃんと碧子さんが笑っていた。
「困りますわ」と碧子さんが本宮君に断った。本宮君は通りすがりに話しかけたけれど、碧子さんは淡々としていた。
「でも、話を聞いてほしい」と言われて、
「私、勉強で忙しいですから」と素っ気無く言われて、さっさと戻ってしまい、本宮君が後姿を見つめていて、
「ねえ、あれ」と面白くなさそうに言った。隣にいた前末さんが、
「多摩子には黙っていてよ」釘を刺したけど、気に入らなさそうにしていた。
「妙子はつい言ってしまうからね。言わないほうがいい。志摩子たちにばれたら言いふらされるよ」
「どうするのよ」
「一度聞くしかないわね。多摩子が勉強する気がなくなると困るから」と言ったので、
「でもさぁ、どうも様子が変じゃない?」
「なにが?」と前末さんが聞いた。
「どう見ても本宮君は碧子さんの事」
「そういうことは言わないの」とたしなめたけれど、困った顔をしていた。
休み時間に拓海君が仙道さんたちと話し合っているために、そのまま一人で勉強していた。
「これ、落ちたわよ」と言って、机から落ちたらしい紙を私に渡した。
「なんだろう?」と言って、広げようとしたけれど、
「山崎君とやり取りしてるんだ?」と三井さんだったので、慌ててポケットにしまった。
昼休みも話し合いが続いていて、教室で佐々木君たちと勉強していたけれどトイレに行ってから、そう言えば、さっきの紙なんだろうと思った。ポケットから出して驚いた。
「放課後に待ってる」と書いてあった。場所とイニシャルが書いてあって、A・Nだったので、びっくりした。あれ、彼ってこういう字だっけ?……と考えていた。急いで書いたらしくて字が乱れていて、待っている場所が学校の外だったのでさすがにびっくりした。家なら分かるけど、どうしてかな……と考えてからしまったら、女の子と目があった。牧さんだったので、
「あ、ごめん。邪魔だね」と言ってそこをどいた。
「あ、あのね」と牧さんが何か言おうとしてから、誰かが来たため、
「いいの」と言って中に入ってしまい、なんだろうなと思いながら戻った。
放課後も拓海君は話し合いに参加する事になり、私は用事があるからと断って先に帰ることにした。と言っても、行かないと行けないところがあることは言えなかった。ただでさえ機嫌が悪いのに、言えるわけがないなと思った。
「どうしたの?」と入り口で女の子が行ったり来たりしているのを布池さんが聞いた。美術部に入ろうか迷っていたからだ。布池さんを見た途端、
「あ、あの……」と女の子が困った顔をしていて、
「何か、用でもあるの?」と聞いた。
「あ、あの、彼に伝言を」
「彼?」
「中にいる人。彼に言って、あのね」と小声で言ったら、
「半井君のこと?」と布池さんが驚いていた。相手の手が布池さんの腕を掴んだため驚いて布池さんが鞄を落としてしまい、
「あ、またやっちゃった」と言って慌てて拾おうとしたら、
「あ、あの、彼に伝言して、行かないと危ないって、山崎君に言いたかったけど、職員室にいるらしくて、先生にはばれると怖くて」
「どういうことだ?」と半井君が廊下に立っていて、
「あ、あの、怒られるから、じゃあ」と女の子が逃げ出そうとして走り出して、後を追いかけてきた半井君にすぐに捕まってしまい腕を持たれて、
「どういうことだ」と聞かれても、おろおろしていた。
「どうしよう。あんなことになるなんて、……私、知らなくて、つい、言っちゃったから……一之瀬さんに言っちゃって」
「どう言うことかちゃんと説明しろ」と怒鳴られて、ハッとなってから泣き出していた。
この辺りは来たことがないな。ゲームセンターができたとき、先生もPTAも近寄ったらいけないと言っていた。その近くにあるという工場の名前が書いてあった。その近くで待っていると書かれてあったけど、何の用かな?……という思いと、なんだか違うかもしれない……と言う不安な気持ちがあって、足取りが重かった。こんな事なら教室に行って確認しておけばよかったと後悔した。工場のそばについたけれど、やはり怖かった。こんなところで待ち合わせるとは思えない。きっと、誰かの呼び出しだと思わせるほど古くて汚い場所だった。
「帰ろうかな」と言った時、近くで、「がさっ」と音がして、
「こいつか?」と声がした。なんだろう?
「そうよ」と女の子の声がして、
「行ってこい」と男子の声がした。今の……と考えている間に、あっという間に男子が工場の横から出てきて、慌てて逃げたけど捕まってしまい、男の力だったので強くて逃げられなかった。しかも2人もいて、
「離してよ」と叫ぼうとしたけど口をふさがれてしまった。古い工場の中に連れて行かれて、女の子と男の子がいた。驚いて声も出せないぐらいびっくりした。瀬川さんとそれから、
「ふーん、お前か」と睨んだのは佐分利君だった。背はそれほど高くない。背が高い瀬川さんよりも低いぐらいだ。私とそう変わらないだろう。その隣にいたのが加賀沼さんだった。でも、
「勝手にしてよね。好きなように、見つからないように」と奥に行ってしまい髪の毛を櫛で直していた。椅子が奥にあって座っていて、
「あら、来たの?」奥からやってきたのが一之瀬さんだったので更にびっくりしてしまった。
「あなたまで」
「いいでしょ、別に。いい気味よ。調子にのってるからちょっと焼きを入れてあげるだけ」と笑った。
「どういうこと?」と聞いたら、手を持っていた男子が、
「おい、やばくないか。センコー[#先生]に見つかったら、俺達さあ」と言い出した。
「お前らは黙ってろ。ここにいたくなければさっさと逃げな」と佐分利君が軽蔑を込めた目で見てから言った。
「こいつ、あのうるさいやつと付き合ってんだろ。あいつ、うるさいぞ。それに学級委員とよく話してるし、センコーにばれたら、下手したら……」
「がたがた言ってるんじゃねえ。嫌なら帰ったらいいだろ」と言われて、その男子が手を離していた。
「俺、知らないぞ。こいつだって知らなかったんだからな。なんだよ、いつものように生意気な女を締めるのかと思ったのに、こいつ、普通の生徒じゃん。やばいぞ、それだと」と男子が逃げ出そうとしていて、
「どこが普通よ、全然足元にも及ばないわ。昔は私のほうが先生に気に入られていて部活でも活躍していたのよ」と瀬川さんが言い出した。
「何度目だよ、それ、聞き飽きた」と嫌そうに言った。一之瀬さんが笑って、
「私も同じだったけどね」と言ったので、そう言えば二人は同じ部活で同じクラスだったことを思い出した。だから、一緒にいるんだなと気づいた。学校では最近は話していなかったと思ったので、正直意外だった。
「私も抜けようかしら。面白い見ものだけど、そう言われたらそうね。後で報告してよ」と加賀沼さんが言い出したけど、
「いいじゃない、見ていきなさいよ。あの時だって最後までいたじゃないの。あなた、残酷な性格だからね」と一之瀬さんが笑った。
「あなたになんて言われたくないわよ」と喧嘩をし始めて、男子はその間に逃げて行ってしまった。後ろに逃げることもできそうだけど、佐分利君がナイフを取り出していたのでびっくりした。
「ちょっと痛い目に合わせてやってよ」と瀬川さんが言いだして、
「そうだな。俺のかわいい美樹ちゃんを泣かした罰だな」と言ったため驚いた。
「美樹ちゃん?」と聞いたら、
「気安く呼ぶな」と佐分利君が怒鳴った。
「あの子、笑いかけてくれたんだ。かわいくて天使のようだ」と佐分利君が言ったため、一之瀬さんが喧嘩をやめて、「プッ」と噴出していた。
「何がおかしい」と佐分利君が睨んでいた。
「ごめん」と慌てて謝っていた。ほかの子と違って、佐分利君はナイフを持っていても平然としていて、今まで何度かこういう経験をしてきたのかもしれないという態度だった。瀬川さんは緊張して引きつっていたし、加賀沼さんは逃げた男子と同じようにいつ逃げてもおかしくないように見えた。一之瀬さんはこうなったと言うのに、今度は落ち着かないのか指で自分の腕を叩いてイライラしているように見えた。こういう現場には慣れていないのかもしれない。どうしよう、下手に逃げてもあのナイフで来られると私の足じゃ、追いつかれるかもしれないと思った。ポケットに手を入れて、
「何してる。物でも投げようとしているのか?」と佐分利君が笑った。瀬川さんも笑っていて、
「無駄よ。佐分利、空手をやってるから喧嘩慣れしてるもの。お嬢ちゃんじゃ、話にならないわよ」と瀬川さんが笑って、後ろの2人も笑った。
「悪いけどな。ちょっと傷つけさせてもらうからな」と佐分利君が近寄ってきて、慌ててポケットからスプレーを取り出して、顔に向けて発射した。
「な、なんだよ、これ。目潰しか」と顔を押さえていて慌てて逃げようとして手探りで追いかけられて、佐分利君に手を持たれ、その手を払ったら彼の目に当たったようで、
「痛っ」と佐分利君が手で顔を押さえていて、
「逃げろ」と誰かの声がした。そっちに行ったら、半井君が入口から入ってきて私を庇うようにして前に立った。
「あなた」とさすがに瀬川さんが驚いていた。
「お前ら、こんな事をして、ただで済むと思ってるのか」と半井君が睨んだ。いつもと別人のようで鋭い目をしていた。佐分利君が、
「お前、なんだ?」と警戒していた。
「お前こそ、こんな事に巻き込まれて、一之瀬達に担がれて」
「どういうことだ?」と佐分利君が後ろに聞いた時に、
「お前は逃げろ」と半井君に押しやられて、途端に佐分利君がナイフを持って近づいてきて、それを半井君が足で蹴って、手からナイフが離れて飛んでいき、
「きゃあ」と後ろから悲鳴が上がった。すごい勢いで飛んだらしくて、一之瀬さんの体を掠めていた。一之瀬さんが倒れた拍子にスカートがめくれ上がって下着が丸見えになっていた。その間に、佐分利君と半井君はお互いに顔を見合っていて、佐分利君が襲い掛かっていた。佐分利君が、にやっ、と笑っていたのに、そのうち顔が怖くなった。半井君がすんでのところで避けてから、攻撃を仕掛けたからだ。
「お前」と佐分利君が驚いていた。
「ふーん、空手やってたのは本当のようだ」と半井君が言ったのを見て、
「これでも道場では強かったぜ」と佐分利君が言った。その後、手近にあった棒を掴んで殴ろうとして綺麗に避けながら半井君の足が佐分利君の腰辺りに命中して吹っ飛んでいた。
「お、お前」と佐分利君が警戒するような顔をした。
「これ使いなさいよ」と瀬川さんが小さな折りたたみのナイフを出して渡していた。すごいものを持ってる……と驚いたけど、それどころじゃなくて、
「へぇ、お前はこの勝負にまだそういうものを使う気か?」と半井君が聞いた。でも佐分利君はそれを受け取ると使いたくなかったのか半井君に投げつけてきた。半井君がまたそれを蹴飛ばしていて、瀬川さんを掠めて後ろにいた加賀沼さんの顔に当たりそうになって、彼女も慌てて物陰に隠れていた。一之瀬さんはひっくり返ったのを何とか立ち上がったところで、また飛んできたので転んでいた。
「退路がなくなるじゃないのよ」と瀬川さんが怒鳴った。
「あまり騒ぐと誰か来るわよ」と加賀沼さんが物陰に隠れてから注意していた。佐分利君が捨て身で半井君に襲いかかってきて、半井君も応酬していて、それでも手足の長さと強さの違いなのか、最後は佐分利君の肩に半井君の足が命中して、すごい勢いで後ろに倒れて、後ろにいた瀬川さんもろとも倒れてしまっていた。
「もう、おしまいか」と半井君が聞いた。
「あ、あなた……」と瀬川さんがびっくりしていて、
「喧嘩したことがあるのか?」と佐分利君が聞いた。
「これでも、修羅場は何度もくぐってる方だけどな」と半井君が淡々と答えた。
「俺だって、負けたことはないぞ。空手をやり始めて、強くなったんだ」と佐分利君が言ったら、
「強く見せようとしてただけだろ」と半井君に言われて、
「なんだと」と2人がにらみ合っていた。
「喧嘩したって限がないぞ。ナイフ持ってるような危ない場面はいやと言うほど見てきたからな」
「俺だって」
「お前の場合は喧嘩に慣れているだけだ。本当に喧嘩で強くなりたかったのか?」と半井君が聞いたら、佐分利君が黙った。
「詩織に近づくな」と怒鳴ったら、みんなが怖がっていた。形勢が逆転したからだろう。加賀沼さんは後ろばかり見て、一之瀬さんは震えているらしかった。瀬川さんだけが怒りの目を向けていて、佐分利君はなぜか呆然としていて、攻撃される心配がないと悟ったのか、半井君が、
「久しぶりにやったからちょっと息が上がったな。勉強ばかりしてると駄目だな」と言いながら私のそばに戻ってきた。
「大丈夫か?」と聞かれてうなずいた。
「な、何であんたが来るのよ」と一之瀬さんが怒鳴った。
「別に」と半井君が素っ気無かった。
「誰かに話したの?」と周りに聞いていて、
「牧かもね」と瀬川さんが言った。
「あの子に頼んだのよ。伝言の紙を入れておくようにね」と瀬川さんが言ったため、
「あんなドジな子に頼まないでよ。こんなことになって、先生にばれて」と加賀沼さんが怒鳴った。
「言わないさ」と半井君が言ったので、みんながびっくりしていた。
「そのほうがお互いのためだな。俺は勉強しないといけない身でね、こいつも同じだ」と私を指差してから、みんなを見ていた。
「そっちも同じだろ。また、出校停止処分食らったら今度こそ行く学校がないんだろう?」と瀬川さんの顔を見ていた。
「別に」と瀬川さんが顔をそらしていた。
「行かなくてもいいわよ、あんな学校」とはいて捨てるように言った。
「滑川じゃ、そうでしょうねえ」と加賀沼さんが隠れたまま言って、
「さまにならない恰好で言わないでよ」と瀬川さんが怒鳴った。
「言えてる」と一之瀬さんも言ったけど、
「お前の下着見てもうれしくもなんともないから早く隠せ」と半井君が笑った。一之瀬さんは慌ててスカートがめくれているのに気づいて直していた。
「失礼ね、これでもモテるのよ。そうよ、あんたが悪いのよ。馬鹿にするにもほどがあるわ。何がロザリーに頼んでよ。裏でそういう事をして、自分に来られると迷惑だと思ったとか何とか」
「なんだよ、それ」と一之瀬さんがわめくのを半井君が呆れて見ていた。
「リッキーよ。あなたが裏で付き合うようにしたんでしょう? ロザリーを使って」
「ああ、それね。違うぞ。頼んだだけ。一之瀬の事を好きになりそうなタイプの男はいないかって、ロザリーに聞いたら、『ぴったりのやつがいるから』と言ったので、そういう運びになっただけ」
「なによ、それ。私を厄介払いしたかったってこと?」と思いっきり一之瀬さんが睨んでいた。そうか、まだ気があったんだな。
「違うさ。お前の怒りを沈めないと八つ当たりされて困るから頼んだだけ。テニス部でもめてたから、俺に色々言ってたじゃないか。だから、気分よくテニスしてもらおうという、それだけのことだ。嫌だったのか? リッキーっていいやつじゃないのか?」と聞かれてさすがに一之瀬さんが黙った。
「ええ、そうね、確かに気分よくテニスはできたわ。でも面白くないわ」と悔しいのか勝気に言いだして、
「あのへなちょこサーブが少しはまともになったから良しとしろ」と半井君が言ってしまい、
「なんですって、受けたこともないくせに」
「お前相手だとラブゲームでいけそうだな」
「へぇ、なら、対戦しなさいよ」と一之瀬さんが食って掛かっていた。
「昭子、黙っていて」と瀬川さんが止めていた。
「さっき、言ったことは本当?」と瀬川さんが聞いた。
「ああ、あれね。言わないさ。そういうことに関わってる暇はない、お前らが佐倉に手を出さないと約束するならね」と言われて睨んでいた。
「どうして、その子を助けたのよ」と加賀沼さんが気に入らなさそうだった。
「ボディガードとして、こいつの母親に頼まれているからね」と答えたので、
「はぁ〜?」と加賀沼さんと一之瀬さんが間の抜けた声で言った。
「とにかく、やるな。こいつだけは」と睨んでいて、みんなが黙った。彼がすごい顔をしていたからだ。さすがに迫力があったため、しばらく誰も口を挟まなかった。佐分利君がこっちを見ていて、
「お前、空手をやっているのか?」と聞いてきた。
「それなり」と淡々と答えていた。
「どうやったら、それほど強くなれる。やはり手足の長さか? パワーか?」と真剣な目をして聞いていた。
「違うさ。俺より強いやつなんていくらでもいたぞ、向こうでもね」
「背が高いから有利じゃないか」と佐分利君が食って掛かっていて、
「大きく見せようとするなよ」と半井君が言った。
「自分を大きく見せようとするから、俺に勝てないんだろうな。でも、お前の方が俊敏だし、お前のほうが俺より強くなる可能性は高いかもしれないぞ。俺は向こうでやってたけどな、強いやつなんて限がないさ。パワーだって俺が吹っ飛ぶぐらいのやつがゴロゴロしてたよ。さすがに痛いからやめた。俺、痛いの苦手」
「この手足でどうすればいいって言うんだよ」と佐分利君が怒鳴った。
「お前の運動神経を生かせばいいだろ。いくらでも方法はあるさ。背が低かろうがなんだろうがやる気さえあればね」
「道場に通って汗たらしてたって、ナイフ持ったら一発だぞ」
「そうして強くなれたのか。納得できたのなら、いいけど」と半井君に言われて何も言えなくなっていた。
「お宅もそうだ」と瀬川さんを見ていた。
「学校が行くところがなくたっていいだろ。それより自分のしたい事をすればいいじゃないか。向こうってそういうやつが多かったぞ。芸術方面や職人になったりね。料理の店を自分で開いていたやつもいて生き生きして働いていたよ。客が満足してくれるのがうれしいってね。あんた、手先とか器用だったらそっちにいけよ」と半井君に言われて、
「美容師になりたいって言ったら、親が苦労するだけだからと言って、せめて高校は出ておけと言われたのよ」
「ふーん、親にそう言われたぐらいでやめるのか? やってみたいならやれよ。一度やってみて面白くなかったらやめたっていいと思うけど。自分の道だ、自分で決めろ。それから、あんた。鏡ばっかり見てないで、もっと演出すればいいだろ。美人を極めるなら、女優なりモデルなりやってみれば? そういう子が働いていたからな。ウェイトレスしながらちょい役もらうためにオーディション受けまくって、明るかったぜ。こんなことしてる時間があったら、自分をもっと磨いたら、それだけ美人なんだし」と言われて、
「あら」と加賀沼さんがうれしそうだったので、一之瀬さんが気に入らなさそうだった。
「私にも言ってよ」と一之瀬さんが言ったため、
「悪い。俺、視力は悪くないんだ」と半井君に言われてしまったため、一之瀬さんがそばにあった物を投げつけていた。半井君にはかすりもしないでその辺に転がっていて、
「ここって、これだけ物音してても誰も来ないんだな。ゲットーと同じか」と笑った。
「来る訳ないわよ。ここ、佐分利の家の持ち物だもの。関わりたくないんでしょうね。この地域の人たち」と言ったのでそういう理由なんだと驚いた。
「益々一緒だ。見てみぬふり。悲鳴あげようが何されようが知らん顔されるからな。ああいうのは嫌だよ」と淡々と言ったけれど、様子が変だった。思い出したくないことなのかもしれない。
「詩織に近づくなよ」と半井君が睨んだら、一之瀬さんが、
「呼び捨てなの?」と聞いた。
「I am going out with Shiori. She is my special.」と答えたため、みんながきょとんとしていた。さすがに全員英語は苦手のようで、
「違う」と抗議したら、
「英語で返事しろよ。お前、こういう時は気の利いた英語の一つでも言え」
「☆やだ」と答えたら睨んでいた。
「☆それぐらい言ってくれてもいいだろ。毎回、気の利いた台詞ぐらい言えよ。疲れた、わがままだった、明日もがんばりますって幼稚園児か」
「悪口言ったのは分かるよ」と睨んだら、佐分利君が笑い出した。
「一之瀬の相手にはなりそうもないな」と言った為に、
「どう言う意味?」と聞き返したかったけど、
「昭子はリッキーと遊んでればいいの」と瀬川さんが言って、
「なんで私だけ何も言わないのよ。私のほうが強いわ。絶対にそうよ。テニスで勝ったら認めてよ」一之瀬さんがまだ言っていて、
「☆俺もやだ」と半井君が答えたので、
「なんて言ったか日本語で言いなさいよ」と怒鳴っていて、
「学校名読めるやつなら分かるはず」と半井君がからかうように言って、さすがに黙ってしまった。
送ってもらいながら、さすがに怖くなって、
「怖かった」と言った。ああだこうだ言う一之瀬さんに向かって佐分利君が怒鳴って黙らせていた。
「一之瀬さんの嘘ってすごいね」彼女は佐分利君と担ぎ出すために二谷さんのことで嘘を教えたらしい。私が割り込んだとか泣かせたとかそういう類《たぐい》を言ったらしくて、それがばれて佐分利君に怒鳴られていた。
「仕方ないさ。佐分利に嘘を言って担ぎ出すのはいつものことだ。牧って女の子が教えてくれたけど、しどろもどろで大変だったよ。もう少し遅れていたら危なかったよな」
「牧さんね」と考えていた。彼女は私のメモをさすがに気になって見たそうだ。何度もそういう事をさせられていて、そのたびに怪我をしていたりする子がいたたため、怖かったらしい。それで半井君に報告したそうだ。
「どうして、分かったんだろう? イニシャルだったよ」
「さあな、しどろもどろの分からない説明の中に、『立ち聞きした』とか『焼却炉のそばにいけなくて』とか入ってたから、そういうことだろうな」
「どうして、そばにいけなかったの?」
「内部分裂はあのグループは日常茶飯事。ついたり離れたり、一之瀬もそうだしね。それで、牧って子はあごでこき使われていたけど、寂しかったから離れることもできずにいただけだ。さすがに人数が少なくなって離れようとしたけど、報復が怖かったんじゃないのか。だから、様子を見に行ってたとか、良く分からん」と半井君に言われて、それもそうだなと思った。
「聞くしかないね。大丈夫かな。お礼を言わないと」
「ああ、それね。一応、頼んだけど、佐分利の言う事をあいつらが聞くかどうかだよな。あの取引も佐分利の気持ちで変わってくるし」牧さんのことも一応恩人だから、半井君が釘を刺していた。特に瀬川さんに。佐分利君が、「させない」と言っていたけれど、それでもちょっと心配だった。
「内部分裂ってどうして起きるの?」
「中学までバカやってても、何人かは抜けていくさ。高校に行くやつは受験、職人になるやつもいるだろうし、ずっとつるんでいる訳にいかなくなるのかもな。親に色々言われるんだろうし」
「言ってくれる人がいるのはいいね」
「そうだな。お前も俺もいないかもな。親は特に。いいだろ、新しい家族ができたんだ。もう一人増えたわけだし」
「誰?」
「俺」と自分を指差していたので睨んだ。
「家族じゃないじゃない。大体、ボディガードって何?」
「頼まれたぞ。後見人と言うかそういうのを頼んだ時に詩織は巻き込まれやすいから面倒を見てくれって、園絵さんにね。かなり心配していたよ。2人ともね。ジェイコフさんも詩織を見守って注意してやってくれってさ。しつけってことだな」
「え、どうして?」
「言葉のことだよ。それから生活面。そういうので親がしつけるのは当然だからな。日本より厳しい家庭は多いけどね」
「え、そうなの? のびのびしてるように見えるよ」
「だから、向こうは子どもでも一人の個人として扱うんだよ。こづかいだって、黙っていても、もらえる日本のシステムはありえない。手伝いしなかったらもらえないシステム」
「そうなの? 厳しいんだね」
「お前も気をつけろよ。色々あるかもしれないけどね。ああいうやつもいるからな」
「いるの?」
「こっちと同じだよ。いるさ。家庭に恵まれない子だっていくらでもいるんだからね」
「そう」
「離婚家庭も多いしね。色々だ。日本だってそうだろう?」
「そうだね。もう、やらないといいな。拓海君だけじゃなくて、あなたまで怪我したら」
「お前は心配性だな」
「嫌だもの。大切な試合に出られないのに、責めたりしないから、彼の場合は」
「お前には言えないさ。あいつは優しすぎるからな。だから、助けてしまうんだし」
「半井君もなんだかんだ言って助けてもらってるね、ありがとう」とお礼を言ったら、
「いつもそういう事を言ってくれよ。お前って、絶対俺に偏見持ってるぞ。そうだ、変えよう。必ず愛の言葉か、何か言え」
「はぁ〜? そういう事を言うから、変だと思うんだよ」
「それぐらいは言えよ。そのうち必要になるから予行練習」
「ならない」
「早いんだぞ。恋愛すると言葉覚えるのがとても早い。それぐらい真剣だから」
「本当?」と思わず言ったら、にやりと笑っていた。
「嘘なの?」
「本当だよ。だから、言えよ」
「拓海君相手に言えるかな」
「おい、そっちに言うな」
「真剣にならないと無理なんでしょう? だから、そっちでないと」
「俺に言えばいいだろ」と言ったので、ジーと見ていた。
「その嫌そうな顔をやめろ」
「だって、本性ばれてるよ。誰でもウィンクするナンパ男って」
「誤解だ、絶対に誤解している」
「霧さんと抱きついてキスしてたって言いふらしてもいい?」
「駄目、これ以上女がうるさくなったら困る。そうだな。テストが終わったら、新しい課題を出そう」
「えー、もう、無理」
「一日、一回発言するぐらいの気合がないと困るぞ。授業でもやれ」
「えー、無理です。恥かしい」
「まだまだ鍛えないとねえ、詩織」
「呼び捨てしない。それは彼氏の特権」
「友達でも言うさ。俺のガールフレンドだし」
「違います。ただの先生です」
「助けてもらって冷たい言い草」
「ありがとうございました。先生の評判は落とさないように色々していたことは言いません」
「おい、絶対に誤解している」とぼやいていた。
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