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約束

 拓海君と待ち合わせをして、一緒にバスに乗っていた。
「どこに行くの?」と聞いたら、笑っていて、
「寒くないようにしてきたか?」と聞かれて、
「マフラーと手袋も持ってきたよ」と言ったら笑ってくれた。最近はなんだか優しくなって、前とは違ってきていた。どこが違うと聞かれても説明はできないけれど。
「ニュートラルってどういう意味だと思う?」
「また、今度はなんだ?」と笑っていた。英語の意味が分からず、つい、拓海君や桃子ちゃんに聞いてしまうからだ。最初は怒っていたけれど、最近はそれなりに聞いてくれていた。
「プレーン、フランク。ざっくばらんって感じかな?」
「俺に聞くなよ。あいつに聞け」
「自分で調べろというタイプ。楢節さんとそっくり」
「お前のためにそう言ってるようだ。突き放した方が成長すると言っていたから」
「え?」と驚いた。
「あいつは態度が分かりにくいから誤解していたのかもしれない。やきもちがあるから、どうしても駄目だな。でも、あいつの言ってることは間違いじゃないという事は分かってたけれど、冷静になれなくてね」
「拓海君でもそうなるなんて?」
「俺の場合は結構多いぞ。経験もない。本だってあまり読まない。弘通や戸狩、楢節さんのように周りの事は見えてないかもな。中学生としてそれなりだと思う。学級委員を経験しているとトラブルに巻き込まれるから、人よりは多く考えないといけないから、達観してるのかもな」
「彼らはどうやって乗り越えているんだろうね?」
「さあな。人に聞いたり、先生に相談したり、親とか身近な人に聞くのかもしれない。女の子がらみだと大変だし、『あの子がああ言った、こっちはこう言った』と譲らないことが何度かあったよ。小学校の時はそうだった」
「それは、どうしたの?」
「無理だよ。両方とも譲らないけれどね。ほっといて逃げたら、そのうち寄って来て、おしまい」
「なし崩しなの?」
「謝ったかもしれないけど、わだかまりは残るのかもな。お互いに」
「困っちゃうね」
「それより、ニュートラルって、なんだよ?」
「中立と書いてあった。他にも色々書いてあったけれど、ちょっとね」
「なんだよ?」
「先入観無しで物事を見られるかな?」
「うーん、それは難しいぞ。今までの経験で考えるやつも多いし」
「緑ちゃんたち、どんぐりだっけ? その人たちが私の悪口とか言って見下した理由をミコちゃんが教えてくれたの。できなさそうな子を見た目だけで判断して見下すって。自分より下の人を作って安心したいとか、半井君は平均レベルより下にいると焦りがあるとか言っていたの。そういうものなのかな?」
「俺の意見は別だ。ちょっとできるタイプでもいるぞ。いくらでもね。見下す人はどういうレベルとか関係ないと思う。性格だ」うーん、確かにそのとおりかも。
「そのレベルがたまたま集まって言っていたからと言って、一概に言えないなぁ。あの学校のあの学年の場合であって、下だと違うかもよ」
「え、そんなに違う?」
「部活の顧問の対処によって体質が変わるという話と同じだ。担任や教科担任の意見に左右されているところもあるかもな。学級崩壊は、まだそこまでないけれど、爺さんの知り合いの学校で起こったらしい。先生に問題があったようでね。つまり、要領がよくない子と区別したらしい。できる子だけをほめた。そういうわけで、先生に反発する生徒が出てね」
「柳沢のようだね」
「ああ、あれね。聞いたよ。一年生に戻ってくるように言わせたらしいぞ。結城も大変だよ」
「彼は部長としてどうなんだろう?」
「さあなぁ。あいつならそれとなくやるさ。特定の彼女も物色中らしいし」
「えー、今までいたんじゃないの?」
「それなりのばかりだってさ。仕方ないさ。理想があるのかもしれないぞ」
「理想って?」
「楢節さんがやったことと同じ事をするんだよ」
「真似しなくてもいいじゃない」
「自分の理想の子を育て上げるのは面白いのかもな」
「余裕がないとできないよ」
「さあな。あいつはそれなりに考えていくだろうな。お前のことは諦めたようだし」
「あれは冗談でしょう?」
「そうか? 好奇心はあったと思うね。一度付き合ってみたいというね」
「男子って、その程度でデートしちゃうの?」
「俺に聞かれても噂しか知らない。橋場達のように勉強デートしてたら、デートなのか友達なのか分からないし」なるほどね。
「先入観がどうかしたのか?」
「そういうものを無くせと言われただけ。半井君にね」
「ふーん。あいつ、なんでそう言う事を言うんだろうな?」
「彼の事を誤解しているとは言ってたけれど、誤解も何も自分が色々言いすぎていたからだと思うなぁ」
「天邪鬼《あまのじゃく》なだけだろうな。意地っ張りな女の子が、そういう態度になる。男子も同じ。本当は好きだけれど、本人の前だと突っ張っちゃう、もしくは素直に言えない」
「なるほどねえ。彼の場合は意味不明。性格が良く分からない」
「あれだけ話していてもか?」
「あの人は踏み込ませない一線があるよ。霧さんの開けっぴろげな性格と正反対。あの2人のほうがお似合いなのに。うまくいかなかったようで」
「そうか? いくら綺麗でも気さくでも、好みじゃなかったら駄目だろう」
「二谷さんはどうして駄目なの?」と聞いたら困った顔をしていた。
「彼女のことはかわいい子だなと思う程度。付き合いたいとか、話したいとは思えないんだよ」
「どうしてだろう?」
「見た目、表情、しぐさ、確かにかわいいと言う男子も多い。でも、俺はピンと来ない」
「そういうものかな?」
「好きになるポイントが違うんだろうな。碧子さんと同じ。他の人が支持しても気になる箇所《かしょ》が違うんだろうな」
「どこが?」
「フィーリング、心、そばにいてなんだか気が休まる感じ」
「なんとなく分かるけれど」
「二谷さんにはそれがないからね」
「難しいんだね」
「仕方ないさ。そういうのが相性だからなぁ。見た目で選ぶと結構失敗すると男子がぼやいていた」
「どうして?」
「顔もかわいいから性格もかわいいに違いない。もしくは自分に合わせてくれるだろう。自分の理想の子だろうと思いこんでいたりしてね。でも、話すとわがままだったり、相手の話は聞いていなくて自分の話しかしない。振り回されたり、そういうことだよ」
「なるほどね」
「難しいんだろうな。あれだけモテた本宮は碧子さんとは友達で終わりそうだしね」
「そうなの?」
「本宮に取っては初めての経験みたいだ。でも、『ちゃんと話して分かってもらいたい』と言っていたよ。たとえ駄目でもね」
「どうしてかな?」
「納得して終わりたいんだろう。たとえ残り少なくてもね」
「美鈴ちゃんがそうだった。ペアが試合には出られないと決まってもずっと話し合っていたの。『その後の人間関係にもプラスになるから、納得できるまでやりたいんだろう』と小平さんが言っていたの」
「『ここまで』と言うラインを決めるのは自分かもな。試合に出るまでが終わりじゃなくて、テニスにしろ人間関係にしろ続いていく訳だから、無駄じゃないだろうな」
「そうかもしれないね。本宮君は強いね」
「『開き直った』と言っていた。誰かの目線を意識して生活していくことが辛かったようだ。見た目から来る思い込み。兄と比べられる。そういうことで自分を偽っていたのかもね。碧子さんはそこがまっすぐだから惹かれたんだろうな。円井さんと合わなかったのは、彼女が本宮の偶像《ぐうぞう》に憧れていたのが分かったため、辛かったみたいだな」
「偶像?」
「勝手に理想の男に作り上げていたんだよ。『本宮君なら、きっとこうだよね?』と決め付けられて聞かれたら辛いからな」
「え、そんな事を言っていたの?」
「恋に恋している状態。憧れの人と一緒に帰ってデートして、みんながうらやましそうに見ている。そういう状態に憧れていただけであって、本宮が橋場のようだったら好きにならなかっただろうと言ってたぞ」
「そういう理由なんだ。うーん、ちょっと複雑だね」
「そういうのってあちこち聞くけどね」
「そうなの?」
「見た目で判断すると、さっき言ってただろう? 先入観はあるさ。俺も橋場は分からない。楢節さんだって、みんなは浮気者だと見ていたけれど、その部分が全てじゃないぜ。一つでできなくても、ほかのことで優れていたり、勉強ができても人望がなかったり、色々だと思うけど」
「そうだね」
「三井達は勝手に作り上げて言いたい放題しているが、今度は自分達に降りかかってきて面白くなさそうだよな。でも、言われてほしくないのはお互い様だというのにね。あいつの点数や順位は全クラスに筒抜けになった」
「え? それって凄くない?」
「仕方ないさ。あちこちで恨みは買っている。男子は言わなかったのに、この時期になって焦りもあり、切れちゃったのかもな。志望校とかの時にね」
「それで、帰れコールなの?」
「俺はああいうのは好きじゃない。でも、止められなかったよ。なんだかね」
「拓海君らしくないね」
「いや、俺も感情的だと思うよ。遠藤や三井、手越、時々、許せなくなるからな」
「そう?」
「詩織の事を悪く言われると駄目だ」
「うーん」
「守ろうとする意識が強すぎると怒られたよ。それで冷静さを欠くと言われたしね。確かにその通りだったよ」
「でも、うれしかったよ」
「わかってないものだよな。詩織の気持ちを全然分かってなかった。あの事故も気にしていたんだな、お前」
「でも」
「俺は頭にくるほうが先で、お前のこともわかってなかったんだな」としみじみと言った。

 一緒に歩きながら、観覧車が見えた。
「この時期だと飾り付けがしてあるんだね」と言ったら、笑っていた。あちこちクリスマスの飾り付けがしてあった。
「詩織とデートするなら、あそこと決めてたんだ」と言ったので驚いた。
「どうして?」と聞いたら、笑った。
「詩織の望みかなと思っただけだよ」
「望み?」と聞いたら、また笑っていた。
「なーに?」
「色々、考えてみたんだ」
「なにを?」
「小さい頃からのこと。詩織といつも遊んでいたころのこと」と言われて、そう言われても思い出せないなと考えていた。この時期は寒さもあって人が少ないかなと思ったら、カップルが多かった。
「大学生、高校生が多いみたいだな」と言って手をつないできて、驚いた。
「どうしたの?」
「一度しておきたかっただけ」
「でも、このあいだも、なんだか怒っていて」
「仕方ないさ。さすがに半井に言いたい放題言われて、俺は何も気づいてなかった。あいつの態度に怒れて、詩織は誤解しているし、それでだよ」
「だからって、学校で手をつながなくても」
「逃げられると困るからだ」
「後輩の前でわざと握ってきたのは、どうして?」
「二谷さんに見てもらいたかっただけだ。俺が一緒にいたいのは詩織の方だと」
「ちょっと、なんだか……」
「前にはっきり断っているのに、お前にまで言ったらしいじゃないか。田戸から聞いた」夕実ちゃんってば、教えてしまったのか。
「だから、ちょっと許せなくてね。お前に言ってどうするんだよ」
「だから、素っ気無い態度になったの?」
「それはあるかもな。俺に言うなら分かるけれど、前末の碧子さんに言うのと同じ。あれをしたら、ちょっとな……。だから、桜木と溝ができるんだ」
「あれって、決定なの?」
「根元か? 違うよ。桜木はE組の林原さんと付き合う予定だ。合格したらね。根元は桜木とは意気投合しただけ。友達と言うより、意見交換してるだけ。気が合ってるようだ」
「じゃあ、前末さんと駄目なの?」
「無理だよ。円井の時に本宮に一方的に言いすぎだ。男子の一部は知ってたんだよ。俺が本宮から相談されて、桃と仙道もちょっとだけ聞いていた。円井の偶像崇拝《ぐうぞうすうはい》は桃が言い出した。仙道も『それじゃあ、恋愛としては困るね』と言っていたからな。あの時はさすがに誰も言い出さなかったけれど、それで気持ちが離れたのに本宮のせいにするのはちょっとな」
「だから、男子は本宮君のほうに同情的だったんだ?」
「それもあるけど。円井のは目に余っただろう? 本宮が嫌がっている時に見せ付けるように教室で話しかける。みんなが見てる前で甘えてくる。それって、やられたら男子は嫌だから。人目は気になるから」
「拓海君はないじゃない」
「俺の場合は詩織以外だと嫌かもな」
「どうして?」と聞いた。でも、笑っているだけだった。観覧車の前に着いて、
「並んでいるね」と言ったら、
「行こう」とチケットを買ってから、歩き出した。ここの乗り物はチケット制にになっているので、好きな物を選んで乗っている人が多いようで、観覧車はいちばん人気があった。
「どうして、ジェットコースターじゃなくて、こっちが人気があるんだろう?」と言いながら並んでいた。
「この時期だからだよ。夕方になるともっと人が多いそうだ」と言ったので、
「なんで?」と聞いたら笑っていた。
「詩織はまだまだ子どもだよな」と言われてしまい、
「もう」と拗ねていた。拓海君がじっとこっちを見ていた。
「なに?」と聞いたら、
「昔の事を思い出していただけだ」と言われて彼の顔を見ていた。
「ごめんね。私、やっぱり」
「いいよ、それはゆっくりで」
「でも」
「昔、一人の女の子が急に引っ越すことになってね。その子の親は彼女に『引っ越すから』と、突然告げたんだ。その女の子は泣いてしまい、小さいのに歩いて爺ちゃんの家まで来たんだよ。子どもの足だと時間が掛かるし、その子は迷いに迷ったんだろうな。足に怪我をしていて泣いていて、近所の人が知らせてくれて、爺ちゃんが慌てて迎えに行った。爺ちゃんが連れて帰ってきたとき、俺の顔を見て洋服の裾を持って泣いていたんだよ。『離れたくない、やだ』と言ってね」と言われて驚いて彼の顔をじっと見てしまった。
「その子が泣いていて、理由も分からずに、とにかく家の人が心配しているといけないからと、ばあちゃんが電話してくれて、家の人はその子がいないから大騒ぎしていたようだ。慌てて迎えに来たけれど、『離れたくない』と泣いていて帰りたくなかったため、一緒に押入れに隠れていて、必死に俺にしがみついていたんだよ。暗くて怖かったらしくて」
「そう」
「その子と一緒に隠れているのがとうとう見つかって、泣いてばかりいたから、爺ちゃんとばあちゃんが言ってくれたんだ。『一晩だけでも一緒に預からせてくれ』とね。その子のお父さんは『駄目だ』と言ったけれど、おばあさんが『そのほうがいいでしょう』と言ってくれて、その子と一緒にお泊りすることになった」拓海君をじっと見ていたら、懐かしそうな顔をしていた。
「そうして、その子と一緒にお風呂に入って、一緒にテレビを見て、一緒に寝たんだよ」と言われて、
「えー!!」と言ったら笑っていた。笑い事じゃないなぁ。恥かしい。
「一緒のお布団に入ってね。手をつないで寝たんだ。その時に約束したんだよ」
「なにを?」
「その前から、何度も、『大きくなったら拓海君のお嫁さんになる』と言ってくれてたから、『ずっと一緒にいれたらいいね。ずっと、遊んでいたいね』と言い合ってね」
「え、そんなこと……」と恥かしかった。
「それで言ったんだよ。『ずっと、一緒にいようね』と。『そのうち、大きくなったら詩織ちゃんの事を迎えに行くから』と言ったんだ」
「そんな事を言ってくれたの?」と聞いたら笑っていた。
 列がどんどん進み、あと少しのところに来ていた。
「佐々木が言っていた、お前の願いは、なんだ?」といきなり聞かれて驚いた。
「え、それは……」
「女の子の願いは、よく分からないから。男子は勝手に色々言っていた。指輪がほしいとか、デートしたいんだろうとか、それから、やましい考えのやつもいたけれど、それで、桃に聞いてみた」と言ったところで、後一組になった。
「何を言ったの?」
「色々言ってたよ」と言ったら、私たちの番になり乗り込んだ。
「動くの早いね。意外と」
「そうだな。ゆっくりの方がいいけどね」と笑っていて、
「さっきの続きだけれど、桃に相談したんだ。詩織の願いってなんだろうと。男子は当てにならないから、桃の方が分かるだろうしね。それで色々言っていた。指輪はなかったな。デートは言っていた。もっと話したいとか、同じ学校に行きたいとか、言っていたよ。でも、定番の願いがあると言ってたな」
「定番?」
「女の子の小さい頃からの夢。いつか、好きな人と結婚するという夢」と言われてちょっとむせてしまった。
「大丈夫か?」と聞かれて、うなずいた。
「桃は、『デートで手をつないで歩きたいとかじゃないの?』と言っていた。俺もそれかもしれないと最初は思った。でも、あの時の約束があったから、もしかしたらそっちかもしれないと思った」
「そんなこと……」
「教えてくれないか、お前の願いごと」と言われて顔が赤くなった。
「一緒じゃないのか? 約束したことと」と聞かれて仕方なく、
「いつか、えっとね……拓海君の……」
「俺の?」
「拓海君にいつか、追いつけるようになったら、もう少ししっかりしてから、拓海君の横を普通に歩けるようになってから……」
「それで?」
「拓海君の……お嫁さんになれたら、いいなぁと……」と最後の方は声が小さくなってしまった。あまりに恥かしかったから。拓海君が優しく笑ってくれて、
「一緒だったな。詩織ちゃんのことは僕が守るから泣かないでね。絶対そばにいるよ。ずっとそばにいて守ってあげるから、泣かないでね。いつか迎えに行くから……一緒に暮らそうね。……そう約束したんだよ」と言ったので拓海君の方に顔を向けた。彼が優しい顔をしていて、髪をなでてくれて、
「だから、守るようにしてくれていたの?」と聞いたら、彼がうなずいていた。そうだったんだ……。だから、あの時も……と思い出していたら、
「詩織は大きくなったら、どうなっているんだろうなと思い出していたよ。あの約束をしたことは子供心にも真剣だったから、手紙が来なくても、それでも心配でね。忘れることなんてできなかったな。思い出は風化していても、爺さんの家には遊びに行くこともあったから、何度か思い出していた。詩織ちゃんは今頃、どうしているだろうなって」
「そんなこと……、ごめんなさい」
「いいよ。だから、再会できた時は驚いたよ。想像通り……とはいかなかったな。ちょっと予想外だった」
「え、駄目だったの?」と慌てて聞いたら笑っていた。
「違うよ。見た目じゃなくて、背」と言われて、なるほど、そう言われたら高いほうだなと思った。
「当時はそこまで大きくなるなんて予想してないからな。ただ、それ以外は昔と変わらなかった。転んだりぶつけてあざ作っていて、そこも同じで」
「恥かしい」
「だから、すごくうれしかったよ」と言われてうつむいていた。
「いつか、お嫁さんか……それもいいよな」と言われてしまい、改めて恥かしくなり顔が赤くなった気がしてほっぺを叩こうとしたら手をもたれて、
「いつか、迎えに行くから、待っててくれよ」と言われて驚いた。
「その時は一緒に暮らそう。詩織のことは俺が守るから、泣くなよ。もう、泣いたりするな」と言われて、ちょっと涙ぐんだら、
「ほら、それだ」と言いながら顔を近づけてきて、
「変わってなくて、うれしいよ」と言って、キスしていた。

 観覧車が下り始めて、二人で手をつないで外の景色を見ていた。
「綺麗だね」
「だから、カップルが乗るんだよ。ムードがあるから」
「それって使ったらいけないんだって。『atmosphere』がいいらしいよ。ムードは雰囲気じゃなくて気分として使うらしいけど」
「半井に言われたんだな?」とちょっと怒っていたので拓海君の肩にもたれた。
「いいの。拓海君が好きなんだから」と言ったら、
「久しぶりに聞いたな」とうれしそうだった。
「はっきり言わないと伝わらないと怒られた。首を振るだけじゃ駄目。口に出してイエスかノーか聞かれるの。それが普通なんだって、日本と違うね」
「そうか、やっていけるのか?」
「難しいと思う」
「それで大丈夫か?」
「拓海君も同じでしょう? 梅山じゃないよね。堀北だね」と聞いたらうなずいていた。
「先生にも『確実じゃないぞ』と脅された。でも、俺は狙いたいから」と言ったので、
「テストに賭けるんだね?」と聞いたら、
「そういうやつは毎年いくらでもいる。恵比寿《えびす》は完全にそうだって。保坂も同じだ。あいつらはランクをあげたままにしてあるそうだ。一か八かで俺よりはるかに危ないと聞いた」
「恵比寿君はどこ?」
「あいつは市橋。保坂は曾田。両方ともかなり危ない」
「そうなの?」
「恵比寿は海星でギリギリと聞いた。保坂は海星でも危ない。佐々木もそうだと聞いた。2人が薦《すす》められたのは笹賀だ」
「よく知ってるね」
「裏で相談していたからな。男子は意見交換していたやつも多い」
「そう」
「詩織よりは無謀《むぼう》じゃないよ。何しろ、こんなに優しいカッコいい男を置いて、向こうに行こうと言うんだから」
「ごめん。でもね」
「いいよ、やりたいんだろう? じゃあ、応援するしかないさ。反対してももう無理だな」
「ごめん」
「いいさ。悪かったな、心配しすぎた」と手を強く握ってくれたので、
「拓海君のそばにいると落ち着くな」と言ったら、
「学校ではできないよな。こういうことは」と言って笑っていた。

 観覧車を降りてから、2人でジュースを飲んでいた。外の景色がよく見えて、休憩所は人が多かった。ちょっと寒いこともあって、くっつくようにして話している人もいた。
「ああいうのは素敵だね。いい思い出になるなぁ」
「思い出にするなよ。ずっと、続くんだよ」と拓海君が笑ってくれた。
「ちょっとほっとしたの。仲直りしたかったから。拓海君に了解を取ってからじゃないといけないもの」
「そうか? 反対されても貫いてるぜ。保坂たち」
「男子は危ない橋を渡りたいんだね」
「あいつよりはいいんじゃないか? 半井のほうが蘭王のような学校だと厳しくないか? おまけに一人で行くんだろう?」
「彼の場合は元々それを希望してたんだって。去年受験するはずだったのに、できなかったと一度言っていたから」
「去年?」
「向こうは州によって、学校によって入学の年が違うみたいだよ。これからは留学生も迎えていこうという方針だと教えてもらった。だから、日本語ができるスタッフがいたの」
「ふーん、あいつとは離れるんだな?」
「寮に入るみたいだね。受かったらの話だけれど。難しいようで」
「そうか。お前は大丈夫なのか? 英語は?」
「練習中。今は日記を書かされているの」
「日記?」
「交換日記。課題なの。全て英語。添削《てんさく》されてね。直すのも自力。あの先生は厳しいの。自分で調べる。全てそう」
「そうか。お前のためだろうな」
「そう言っていた。旅行で向こうの家に入った途端、『できるだけ英語にしろ』と言われて、会話が英語に切り替わったの。甘やかしてはいけないと言い出したのは、彼」
「お前のためか。だから、ああ言ったんだな」
「中途半端だと怒られた。『優しい彼氏がいつでも待っててくれると言う逃げ場を作ってから行くな』と怒られたの。挫折《ざせつ》してほしくなかったんだって。彼の知り合いで途中で挫折した人がいたようでね。『そういう目に合わせたくない』と言っていたの。彼の言うとおり甘えはあったのかもしれない。もし駄目でも日本に帰って来ればと言う考えがどこかにあった。でも、それでは通用しないと教えてくれた。向こうでは自分で話しかけ、意志をはっきり伝えないといけない。自分で交渉しないといけないと言われたの。『日本人同士固まっているといつまで経っても英語は話せないよ』と脅された」
「そうなのか?」
「でもね、そういう環境の方がいいのかも知れない。私は意見を言うのをためらうから。テニス部のとき、他に意見を提案したくても一之瀬さん、前園さん、緑ちゃんに言われたくなくて我慢してきたの。誰かが気づくだろうと言わなかった。でも、一人一人、着眼点《ちゃくがんてん》が違うんだと言うことが徐々に分かってきて、碧子さんには碧子さんの意見があるように、みんな分かれるの。拓海君、ミコちゃん、桃子ちゃん。経験したことが違うから当然だね。そういう部分で言い出せない自分に歯がゆかった。開き直るようにして意見を言い出したら、意外と聞いてくれて、みんなそれぞれ言い出せなかっただけだと気づいたの。だから、少しは言えるようになりたいなと思って」
「英語が話せるようになりたいからじゃないのか?」
「そこまで甘くはないみたいだよ。みんなの意見を聞いたら、そんなにすぐに話せるようになるわけじゃないし、発音も大事だし、文法も自力でやらないと困るみたいだし。意見もどんどん言えないと駄目みたいだね。日本で進学するには日本の高校のほうが有利だろうと言われたし」
「だったら」
「知りたいことがあるの。記憶のこと」
「それは徐々に」
「違うの。記憶も取り戻したいけれど、そういうのを調べてみたくなったの。楢節さんに借りた本の中に、留学したカウンセラーの本もあった。日本と違って、向こうは心理学や精神医学のことに関しては進んでいるらしくて。こっちだとカウンセラーになんて行かないけれど、向こうではごく普通に行くし、離婚、仕事、子どものことで相談したりセミナーに参加したりは普通みたいだね。エリートになると高いお金を払って精神科医に通うのもあるようで。だから、知りたくなったの。そういうことに関してね」
「向こうの大学に行くのか?」
「まだ、そこまでは。だって、向こうでの環境に馴染めるかどうか。駄目だ、また言っちゃった。『何とかしてみせる』と言わないと怒られるの。『できるかどうか』なんて言ったら駄目なんだって。『はったりでもいいから、何とかしてみせますと言え』と怒られたの。『粗茶ですが』と言う精神は日本にいるときだけ使えって」
「謙遜《けんそん》はしてはいけないって、ことか?」
「そういうことらしいよ。それに大学は高校とは違って、かなり難しいらしいの。だから、その辺は未定」
「大丈夫か、それで?」
「お母さんと一緒に過ごして思ったことがあるの」
「なんだよ?」
「しつけに厳しかったの。マナー、言葉遣い、生活習慣。そういう部分で、ジェイコフさんと2人でいっぱい教えてくれたの。私、両親と一緒に暮らしてないし、おばあちゃんもお爺ちゃんも私のことは大切にしてくれたけれど、どこか不憫《ふびん》な子という扱いであまり怒られたことがないの。だから、しつけの面に関して自信がない。そういう部分も直したいの。この機会にね。お母さんとも、もっと話したいし」
「もっと、早く聞いてやればよかったよ。それだけ考えていたのに、俺は」と拓海君がちょっと考え込んでいたので、
「いいの、うれしかったよ。あれだけ心配してくれて。だから、ちゃんと了解をもらいたかったの。拓海君もがんばるなら私もがんばれるような気がするから」
「前に言っていたよな。そこにいてくれるだけでがんばれるって。それはあるよな。仕方ない、一度、距離を置いたほうがいいのかもな、俺たちの場合は。お前も俺もまだまだ未熟だから」と言ってくれたので二人で笑っていた。

 ゆっくりと歩いて散歩していた。
「2人でこうやって歩くのもいいね。寒いけど、寒くないような」と言ったら笑っていた。拓海君がつないでいる手を自分のポケットに入れてくれて温かかった。
「恋愛って難しいんだね」
「詩織が言うのはまだ早いぞ」
「何だか、全然わかってないなと思ったの。みんなのそれぞれの思いがあるのに、どこかで人目を意識してるのかも。本宮君も円井さんも聞いてみたら、そういうことだったんだなと気づかなかった」
「仕方ないさ。表面だけ見て判断するのは甘いんだろうな。三井達のように、何でも鵜呑《うの》みにしてすぐ噂に飛びつくのはどうかと思う。芸能人の話題、アイドルの歌を歌っていた女の子達もいるけれど、さすがに受験で減っていったから、あいつらが目立つようになってしまっただけだ」
「そうなの?」
「俺はお前に嫌がらせしているやつらに対して先入観があったかもな。半井に対しても」
「あの人の場合は良くわからない人だもの」
「お前の事を心配しているのだけは事実だと思う。それ以外の部分でむかつくのはやきもちからだな」
「彼の場合は良くわからないの。霧さんに迫られていて満更でもなさそうに見えた。結構きわどい話題も平気で話していたから、てっきり付き合っていると思ってた。口ではごまかしていたけれど、霧さんは抱きついていたし」
「ああ、それね。芥川は気軽にそれをする。男子の肩に手を置いたり、体に気軽に触れるから男は勘違いしてしまうんだろう」
「え、半井君だけじゃないの?」
「半井には抱きついていたのは事実だ。他のやつにはそこまでしていないそうだ。ただ、沢口さんとかうちのクラスで半井に憧れていたやつが言うには、半井は嫌がっていたそうだぞ」
「口ではそうは言ってたけれど、てっきり、満更でもないかと思った」
「そうか、気まぐれなんだろうな。俺もイライラするし」
「そういう相性はあるんだろうね」
「そうかもなぁ。対等じゃないと困るからな。俺たちも」
「そうだね」
「半井に言われるまで気づかなかったよ。詩織がそう思っていたなんてね。色々、言っていたことも遠慮深い性格からだとばかり思っていたよ。図々しいよりは好きだから、いいけどね」
「え、そうなの?」
「あいつも同じかもよ。図々しいと言うか、気配りができないタイプだとちょっと……と思うからね。優しい子の方が俺は好みだし」
「拓海君は桃子ちゃんやミコちゃんタイプの方が好みなのかと思った」
「俺は守ってやりたいタイプだから、一人で生きていけるあいつらは友達どまり」
「そうなんだ?」
「だから、焦ったよ。詩織は俺の中で家族も同然だったから。俺からいきなり離れるとか別れるとか、『俺はなんなんだよ』と思った。これだけ守ってきて、どうして離れようとするんだろうと怒れてね」
「でも、それは」
「そうだよな。約束を忘れてるなら、詩織はそうかもな。負担になりたくないという気持ちも分かってなかった。俺がいいと言ってるんだから、守ると言っているのにどうして不満なんだろうと思った。でも、はっきり言われたよ。『一人で何もできない女にしたいのか』とね。半井はきついな。あいつ、アメリカで相当やりあってないか?」
「あれが普通らしいよ。お母さんも同じ。言いたいことは言うべきだという発想みたいだね。結論が出たら、はい、おしまい。ミコちゃん向きだね。根に持たないのかが不思議だけれど」
「そうか? 反対に足の引っ張りあいはあるね」
「それは聞いた」
「じゃあ、一緒だろ。こっちとそこまで違うとは思えないな。どういう人種がいようと関係ないと思う。人間、考える事はそこまでずれるとは思えないね」
「一之瀬さんと同じような人はいたみたいだね。でも、半井君は一之瀬さんの事を単純だと言うの」
「どこがだよ?」と怒っていて、同意見だと思った。
「半井君が言うには、自分が幸せなら満足でそれ以外は目にも入らないって。だから、八つ当たりするらしいよ。幸せじゃない時はね」
「そう考えたら単純かもしれないが、俺にはそうは思えないな」
「同意見だけどね」
「難しいよな。こっちを立てたら、あっちが通らない。こっちの幸せがあっちの幸せにはならない」
「ミコちゃんも同じ事を言ってたの。多数決かじゃんけんかで決めるしかないってね」
「そういうのも暗黙の了解があるぞ。多数決の前にお互いに探り合ってる感じで、意見がまとまりそうになってから、『じゃあ、手を挙げてもらいましょう』と言うからな。意見が分かれそうなときには聞かないでね」
「えー、そうなの?」
「そういうこともあるさ。ミコのようなきっぱりさっぱりタイプばかりじゃないんだよ。仕切るのはね」
「うーん」
「その辺は俺は苦手だ」
「わたしもだなぁ」としみじみ言って、2人で笑っていた。

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