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  *注意:英語での会話の時は、文頭に星マークを付けます 「☆私はうんざりしています」

初対面

 ジェイコフさんが来るというので家の掃除をしていた。父は落ち着かなさそうに立ったり座ったりしていた。
「うちに泊まるわけじゃないからそこまで掃除しなくても」と父がぼやいていた。二階も全部やっていたからだ。
「年末はおばあちゃんの家に行くから大掃除代わり」と言ったら、所在なさそうにソファでテレビを見ていた。この人が一人でやっていけるんだろうかと心配になった。トイレ掃除ぐらいしてくれてもいいのに。
「☆洗面所を掃除してください。 洗面所を掃除してほしいのですが。洗面所の掃除をしてもらえないでしょうか。…… 違うなぁ。手伝ってください。手伝ってくれない?  私を助けてくれる?」
「やめろ、英語は」と父がぼやいた。
「☆お父さん、どうか手伝ってください」
「だから、やめろ」と睨んでいた。
「☆私はうんざりしています。父は動かない。 私はあなたが恥ずかしいです 」
「今のは悪口だろう?」と父に聞かれて、
「日記の復習なの」と答えた。半井君の書いてくれたフレーズは使いやすくて、日常生活でもつい口ずさむ。ただ、文句が多いけれど……。
「☆窓ガラスを掃除しましょう」
「詩織、それをやめてくれ。気が散る」
「☆お湯を沸かし、戸棚からカップを取り出し、……あれ? この場合の前置詞は『in』かな? お茶を一緒に飲めるように……。全然、英語で言えないな。.まだまだだ」
「やめろと言っているのに」と父がぼやいた。

 チャイムが鳴ったので、
「出てください」と父に言ったら、うろたえていた。
「ほら、家長なんだから、出て」と言ったら、
「英語が」と言ったので、駄目だと諦めて玄関に行った。
「ハーイ、詩織。げんきだったですか?」とジェイコフさんが立っていて、抱きしめてくれた。
「☆お久しぶりです。ようこそ日本へ。疲れていませんか?」と英語で言ったら、
「あら、少しは上手になったのね」と母が笑った。
「一生懸命練習してたの。掃除しながらね」とそこは日本語で説明した。
「☆よく来てくださいました。どうぞ上がってください。お母さんも」と言ったら、2人が笑ってくれて、
「シオーリ、英語、ジョーズになりました」とジェイコフさんが言ってくれて、
「☆ジェイコフさんも上手です」と英語で言ったら二人がうれしそうにしていた。
 居間に通したら、父はテレビを見ているポーズをしていて、呆れるなぁと思った。
「あら、やっぱり」と母が呆れていた。
「はい、はじめまして。ジェイコフです」と日本語でジェイコフさんが挨拶していると言うのに、
「あ、な、ナイスーツー、ミー、ツー」と父はたどたどしくて。母が呆れていた。ジェイコフさんが手を出そうとしているのに父が気づいていなかったため、
「シェイクハンド」と母が注意したら、父が慌てて手を出していて、
「まったく」とかなり呆れていた。
「お父さん、お相手お願いね。お茶の用意してくるから」と行こうとしたら、
「こ、ここに、いろ」と、どもっていた。情けない。
「いいから、お相手してください」と言ったら、
「これだから日本の男は」と母が小声で言って呆れていた。

 お茶の用意をしている間、主にジェイコフさんと母の声しかしなかった。ジェイコフさんは日本語をできるだけ使っていて驚いた。いつのまに、練習したんだろうなと思った。そう言えば、向こうにいるときも、日本語をかなり使っていたのを思い出した。母といる時は英語なので、仕事で使うのかもしれないなと考えていた。
 居間に戻ったら、父がソファの隅に腰掛けていて、
「もっと真ん中に座らないと」と言いながら、お茶を出していた。
「詩織に何でもやらせて、呆れるわね。半井君から聞いたのよ。あなたは家のこともやらずに遊んでばかりいるそうで」と母が言い出した。しまった、教えるんじゃなかった。あの人も母のスパイだったなと思い出した。
「長旅で疲れてない?」と母に聞いた。
「大丈夫よ。タフだから。ジェイコフもマイペースよ。向こうは、そう言う人が多いのよ。行けば何とかなるというタイプ」そうかも。霧さんみたいな人も多い気がする。
「シオーリと仲良くやります。お父さん」とジェイコフさんが言ったため、
「何が、お父さんだ」と父が睨んでいた。
「朋和さん、シオーリと一緒に暮らす。仲良くします。安心して」と言ったため、父が困った顔をしていた。
「何か言ったらどう?」と母が呆れていて、
「何を言ってるんだ。いきなり外人を連れてきて、床が抜けそうだ」と父が訳の分からない事を言いだして、
「呆れるわねえ。この期に及んでその態度」と母と喧嘩しそうだったので、
「ストップ」と止めた。
「お父さんもお母さんもやめて。せっかく、ジェイコフさんも来てくれたのに、時間の無駄になることはやめて。お父さんも、ちゃんと挨拶してください。わたしがお世話になる人なのよ」と睨んだら、さすがに父がうな垂れていて、
「だって……」と消え入りそうな声で言った。
「あなたは、絶対に情けないわ」と母がとどめをさしてしまったため、さらにうな垂れていた。
 向こうでの生活の事、学校などのことなどを母が説明してくれて、
「だから、日本に帰るのは夏休みと冬休みぐらいね。費用も掛かるから、年に一回帰られるかどうか」と母に言われて、それだけしか拓海君に会えなくなるなと考えていてちょっと寂しかった。最初は高校に行けば会えなくなるし、別れるのも時間の問題だと言う恐れがあって、そこまで考えていなかったけれど、拓海君がああいう風に思っていてくれたことで、ちょっと後悔もあった。会えなくなるのは、かなり辛いなぁと考えていたら、
「すぐに戻ってくればいいじゃないか。そうだ、どうせ詩織ならまた、何か問題を起こしてやらかすに違いないから、だから、そこまで考えなくても駄目になるし」とまだ父が言っていたため、
「何言ってますか」と母から通訳されていたジェイコフさんが怒り出した。
「シオーリ、がんばってやっていこうとしてます。それを応援しない家族、いますか?」と怒っていて、
「え?」と父がたじたじになっていた。後は英語でペラペラ何か言っていて、母が聞きながらため息をついていて、
「あなたが今からそういう態度でどうすると怒っているわ。娘が高校に行き、その後、社会に出て通用するようにするのが親の役目。あなたは間違っていると怒ってるの」
「もっと長く言ってたよね」と母に言ったら、
「いいわよ。全部言ってもこの人は無理よ。言われると逃げる性格だから」と母が言ったため、父が逃げたそうにしていて、確かに情けないかもと見てしまった。

 ジェイコフさんと出かけることになっていたので、父が嫌そうだった。
「あなたの場合は少しは反省しなさいね。それから、お母さんと話し合うそうだけれど、いつまでも心配かけるんじゃないわよ。情けない」と母に言われて、
「詩織が心配をかけているんだ」と父が言いだして、呆れてしまった。
「あなたのその父親らしくない態度が問題なのよ。反省しなさいよ。子どもに家事を押し付けて、結婚もしないで、これからどうするのよ。再婚でもしなさい」と怒られた途端、
「おまえのせいだぞ」と父が言い返した。
「何言ってるのよ。離婚届を叩きつけたのは、あなた。その後、再婚しないのもあなたの意志。私のせいじゃない。すり替えないでよ。詩織はあなたの所有物じゃない。便利に使って、自分は遊びほうけて、家事もしない。アメリカの場合は共働きじゃなくても家事、育児に協力的よ。あなたのそういう部分が母親に心配かけている事をちゃんと理解して」と母がぴしゃりと言った。
「ソノーエ」とジェイコフさんが心配そうだったので、
「☆いつものやり取りです。気にしないで下さい」と英語で声をかけたら、
「わたし、苦労します」と言ったので、笑ってしまった。
「お父さん、少しは考えてね」と言って、家を後にした。

「あの人はねえ。いつも、ああでねえ」とレンタカーの中で母がうるさかった。ジェイコフさんにも英語で説明していた。
「怒ってもしょうがないよ。何で、再婚しないんだろうね」
「紹介してもらえばいいんでしょうね。あなたがいなくなったら、そうするかもね。日本で子連れ再婚は難しいのかもしれないわ。妻の方もね」
「それはなんとなく分かるけれど」
「甲斐性《かいしょう》はないみたいだし、自分から探してもいなさそうね。貯金もない男と結婚してくれる人がいればいいけれど」
「それって、重要かな?」
「それはあるわね。でも、再婚同士の場合はそれよりも性格よ。ギャンブルや借金、女性問題で別れているとそれもあるだろうしね。あの人の場合は押しが弱いし、中々見つからないのかもね。遊ぶのをやめたらいいのよ。ゴルフも全て」
「そう言われても」
「お母さんと住めば少しは締まるでしょう。金銭面もね」
「え? どうして?」
「一緒に住むことになりそうね。そういう手紙をもらったわよ。仕方ないわよ。あの人が、一人でやっていけると思う? お金の管理もお母さんがするそうよ。あなたの大学や結婚資金をひねり出してもらわないと。少しは懲《こ》りてほしい」
「おばあちゃん、こっちに来るんだ?」
「それは仕方ないわ。仕送りしてる余裕なんてないわよ。あなたにしわ寄せしてどうするのよ。あなたの面倒をみてきた親ならともかく、遊んでお金がないという人よ。結婚してもあなたと同居するように言いそうね」
「え?」
「そういう人よ。だから、夜遅く娘一人残して飲みに歩けるの。本来ならもっと心配するはずよ。年頃の娘を一人で留守番させて、半井君が心配していたわよ。ペンキ塗りはさすがに危ないのでやめさせたいと怒っていたみたいで」
「なんで、あの人が?」
「心配なのよ。あの子もあなたが好きなわけだから」
「好きじゃないみたいだよ。変なことは言うけれど」
「あら、まだ、そんな事を言ってるの? 手紙にいっぱい書いてあったわよ。よほど心配なのね。成績やその他、生活面でもかなり心配してくれてね。いい子じゃないの」
「そう? 口を開けば変なことばかり」
「素直じゃないのはそうだけれど、ジェイコフに言ったのよ。恋人になれるように希望しているけれど、その時はよろしくって」
「は?」
「日本に帰国するときの挨拶よ。そう、はっきり言ったわ。呆気に取られたけれどね。なる前に宣言する人も珍しい」
「そんな事を言ったの? あの人、変」
「そうかしら? それだけ、ハッキリしてるのよ。親にも宣言できるぐらいだからね。普通は親には内緒で付き合ったりはしてるみたいよね。年頃になるとそういう心配があるのに、あの子は言い切ったから、さすがにびっくりしたし」
「内緒にするの?」
「うるさくなるからよ。デートで遅くなったり、内緒でお酒とか危ない事になっていないだろうかとかね」
「危ない事?」
「こっちでは高校生で車を持っているからね。だから、危ない付き合いに参加したりしないかどうかを心配しているのよ。中にはタバコもお酒もそれから、……色々あるみたいね」
「え、そうなの?」
「仕方ないわ。親が共働きの家もあるし。メイドしかいなかったら、目が届かないもの」
「危ないね」
「詩織も気をつけなさいね。知り合いが増えたら、そういう誘いもあるかもしれない。でも、相手の性格を良く知ってからにしなさいね」
「うーん、それは無理じゃないかな? 英語の勉強もしたいし、友達と遊ぶ余裕があると思えないよ。だって、外人が話しているのはちんぷんかんぷんだから、行っても面白くなさそうだよ」
「それはあるわね。言葉のことがあるから、中々、仲間に入りにくいために話しかけられないそうよ。向こうから話してくれることもあるけれど、日本人がいっぱいいたらそれも少ないだろうしね」
「そんなに多いの? そこの学校」
「そこまではいないけれど、多くなるかもね」
「そう」
「ホームステイも多いだろうし」
「どうして?」
「ビジネスになるからよ。日本人も憧れはあるけれど留学する事は無理。でも、体験はしたいという人向き」
「なるほどね」
「短期間だから話せるようになるわけじゃない。だから、そういう生活を通して体験したいとは思ってるし、半井君が言っていたような目的も半分はあるわ」
「目的って?」
「観光、遊びね。渡航費も結構掛かるし、ホテル代も掛かるけれど、ホームステイはボランティアだから長くいられるし」
「ふーん、そうなんだ」
「半井君のような子は少ないものねえ。大学だとあちこち聞くけれど、お金持ちのご子息が多いみたい。語学や芸術方面の学校に行ってる子もいるけれどね。中々難しいと思うわよ。お金だって掛かるから」
「そうだね、すごいね、彼」
「でも、納得したわ。あの有名企業の会長のお孫さんならね。落ち着いているし、しっかりしているし、挨拶も仕込まれているはずね」
「日本に戻ってくるたびに教育は受けていたみたいで」
「そう……そうでしょうね。日本の子はアメリカの方が気楽に生きていると思っているようだけれど、実際は分かれるのよね。しつけも厳しいところが多いし、教育に熱心な親も多いし、子供が泣いているだけで虐待じゃないかと思われると困るから気を使うしね」
「そうなの?」
「それは仕方ないわ。家族で行動するのも多いし。高校生になると違ってくるようだけれど、誘拐の心配もあるしね」
「そんなに多いの?」
「それは仕方ないわ。あなたも気をつけなさいね」と言われてうなずいた。
「でも、珍しいわね。プレップに行くなら、東の方が多いみたいだから」
「東?」
「東海岸の方が有名大学が多いため、あちらの方が多いと聞いたわ」
「へぇ、そうなんだ。どうしてだろう?」
「さあねえ。ランプトンならいいかもね。噂は聞いているけれどいいみたいだし」
「ふーん。あの人は不思議だ。でも、寮に入ったらきっと会わないだろうし」
「あら、何を言っているの? 部屋を用意しておこうと言ってるわよ」
「部屋?」
「半井君の泊まる部屋。空いている部屋もあるから、そこを使ってもらおうと思ってね。ベットも用意しておかないと。お爺様が心配しているようで、丁寧なお手紙をもらって、視察したいとまでおっしゃっているし」
「そこまでするの?」
「どうせ、あなたの家庭教師なんだから、必要だと思うわよ。週末や長い休みは来るだろうし」
「へぇ、寮だから全然会わないと思った」
「車を持つようだから、そうしたらそこまでの距離じゃないわ。それに心配のようだしね。あなたのことが」
「そうかなぁ?」
「ソノーエ、あれ、なんだい?」とジェイコフさんが日本語で聞いていた。
「ああ、あれはね」と母が説明していた。

 拓海君が待っていてくれたので、
「ごめんね。遅くなって」と言った。彼の家に迎えに来たけれど、会った時に、ちゃんと英語で挨拶したのでびっくりした。
「中学生でも出来る事をあの人はできないのよね」と母がぼやいていた。
「あなたがシオーリ、ボーイフレンド?」とジェイコフさんが聞いて、
「いえ、恋人です」と訂正していた。やっぱり間違えるよね。
「ボーイフレンドです。拓海君、ボーイフレンド、イコール恋人」と説明したらちょっと驚いていた。
「へぇ、ロザリーにボーイフレンドになってくれと言われて、いいと言ってしまったことがあるぞ」
「そうだね。私も間違えた」と笑っていた。みんなで車に乗り込んで、ジェイコフさんが、
「シオーリと仲がいいですか?」と聞いていて、拓海君は、
「☆はい。私たちは知り合って長い時間、経っています」と英語で言ったので、びっくりした。
「いつのまに」と聞いたら笑っていた。
「そうですか、いいですね」と言われて、二人で笑っていたら、
「あら、やっぱり仲が良さそうねえ」と母も笑っていた。

 一緒に食事しながら、日本語で話して、母が通訳していた。
「日本語が上手ですが、やはり勉強したんですか?」と拓海君がジェイコフさんに聞いたら、
「ああ、それね。結婚する前に説明はしてあったの。離婚した事と詩織を置いてきた事をね。それで、いつか詩織を迎える日が来るかもしれないからと、勉強していたのよ。あの部屋を一緒に作りながら、いつか会えるといいねと言い合って」
「お母さん、そんなことは言ってくれなかったじゃない」
「気にすると困るからね。でも、詩織がこっちに来てくれることが決まって、この人も練習熱心になってね。でも、半井君が英語で話すように言ったから、あまり使わなかったのよ」
「そうだったんだ。ごめんなさい」
「あら、ありがとうよ」と母が訂正した。
「向こうだとそう言えるけれど、こっちだと性格が戻る」
「それはあるのかもね。今じゃ、私も日本人の感覚が弱いわ。日本人スタッフは少ないし」
「そうなの?」
「バラバラよ。転職も多いのが普通だし、私も変わっているわけだからね。前はNYにいたから」
「そうなんだ?」
「あっちと違うのよね。カリフォルニアは暖かいからいいわ」
「そうですか。治安はどうですか?」と拓海君が聞いてくれて、
「あの人より、よほどしっかりしてるわよね。あの人は詩織の心配より自分の心配よ」と母が怒り出した。
「もう、いいじゃない。話すのも嫌になるぐらい、ああいうことばかり言ってたよ。日替わりで違ってた。『短期ならいい』とか、『仕方ないのかもしれない』とか、『でも、やっぱり俺はどうなるんだ』とか、コロコロ言うことが変わって」
「あの人は前も同じよね。だから、さすがに思い出して駄目だわ」
「離れるのはいいのかも知れないね。お父さんのそういう態度も不満だったはずなのに、いつのまにか言葉を飲み込んでばかりいたもの」と言ったら、拓海君が心配そうに見ていて、
「大丈夫。お互いにしっかりしないと困る親子って、ことなんだと思う」と言ったら、
「そうかしらねえ? あの人の方が問題かもしれないわね。助ける人が母親しかいなくなるわけだし、お母さんが甘やかすから、ああも情けない父親になったのかもね」
「父親って、みんな、ああじゃないでしょう?」
「日本の男の人は家庭の問題は妻が片付けて、自分は仕事。という人が多いからね」と母が嘆いていた。
「でも、詩織の場合は当てはまらないわ。父親として見ていなかったのは問題があるからね」
「そう言われても」
「お母さんがそばにいれば少しは家に帰るわよ。あの人もね」と母が呆れていた。
 
 拓海君は色々質問していて、お互いにいっぱい話し合っていて、すぐに時間が過ぎてしまった。
「あの人より、中学生の拓海君の方がしっかりしているのが問題よね」と帰る時に母が嘆いていた。確かにそれはあった。拓海君は何度も治安の問題と学校でのいじめ、嫌がらせ、生活面の心配をしてくれて、ありがたいなと思った。
「アツヒーコーにも会える、楽しみね」とジェイコフさんが言ってしまったため、仕方なく半井君の家の人と会うことになっている事を説明した。途端に機嫌が悪くなってしまった。
「彼の家の人が留学して一人でやって行くことに心配しているらしくて、後見人代わりだから挨拶したいらしいの。わたしは遠慮したいけれど、出席しなさいと言われているから。怖い、あの先生」とぼやいたら、母が聞こえたらしく笑っていた。
「あの子、よほど、厳しくしたらしいわね。『幼稚園から卒業できそうもないですが、それなりの成績で卒業できるようにしておきます』と書いてあったわよ」
「勝手にテストのボーダーラインは決めるし、どっさり宿題出すからね」とぼやいていたら、
「ふーん」と拓海君が気に入らなさそうだった。
「あの人は先生、拓海君は恋人」と言ったら、母が笑っていた。
「勝ち目なさそうね、あの子」
「お母さん」と睨んだら、
「詩織の場合は、あいつに押し切られるじゃないか」と拓海君がぼやいていて、
「あの人、わがままなんだもの」とぼやいたら母が笑っていた。


光り輝くお爺様

 母たちはホテルに泊まっているので、半井君の家に訪問するのにバスに乗って待ち合わせの場所に行った。彼のお爺さんの家の近くで待ち合わせた。半井君は向こうの家に泊まっているそうで、
「お爺様の家は大きいのでしょうね」と母が言ったので、お金持ちの知り合いなんて、楢節さんしか知らないし、半井君のあの別荘のような家でも十分大きいと思う……と考えながら聞いていた。ジェイコフさんは、運転はしていない。さすがにアメリカと違うから危ないと言う理由だった。半井君、運転できるんだろうかと心配だった。戸惑う人が多いらしい。母も最初はなれなくて大変だったようだ。
「右ハンドルだと怖い?」と聞いたら、
「さすがに長期に日本に来た時になれたわよ。何事も経験」
「お母さんって、順応性があるんだろうね」
「そうかもね。負けたくないという気持ちは強いかもね」
「そこまで強くなれるかな?」
「あら、詩織は違うかもね。それに親は親、子どもは子ども。アメリカではそういう考えよ。跡取りという発想がなくて」
「え、そうなの?」
「お金持ちの息子さんが、高校を卒業間近にのんびりしていたら、いきなり追い出されたそうよ。大学も自分で行きなさいとね」
「え〜! それってすごいね」
「お父さんの方針は聞いていたのに、どこかで高をくくっていたのね。親のコネで生きていけるとね。ところが、『高校卒業したら一人前だ、俺もそうしたからお前もそうしなさい』と言われてね。向こうだと奨学金をもらって大学に行く子もいるから、がんばりなさいと言われて、彼も心を入れ替えてがんばってバイトしながら途中で奨学金をもらって大学に行ったそうよ。自分で起業するために準備もしている。しっかりしている子も多いわよ」
「すごいね、それって」
「そのほうが子どものためだからよ。親がいつまでも助けてしまったら駄目になるからね」
「そうかもしれないね。私もできるかなぁ、じゃあ、なくてがんばります。日本だとどうしても弱気になるなぁ」
「そのほうがいいからよ。謙遜《けんそん》しないといけないみたいな空気があるわね。自信はあっても押さえていないとうるさい人も多いからと、わざと演じていた人もいたから」
「え、そうなの?」
「謙遜、あちこちの顔色伺い、責任問題になりそうな時は上司のお伺いやあちこちの顔色を見る、根回し。そういうのをアメリカでもやりたがるのよね。でも、嫌がられてね。すぐに、『上司に聞いてみないと』と言うから、びっくりするのよ。裁量権《さいりょうけん》がないからでしょうね」
「お母さんの所はどうなの?」
「日本とこっちとは違う部分もあるわ。上司によって違うしね。その辺は臨機応変」対応できる人じゃないと生きていけないんだなとしみじみ考えていた。
「ああ、この辺ね」と母が車を止めて地図を確かめていた。

「広い」と思わず言ってしまった。高台にある家は、立派な家と言うよりお屋敷と言った方がいいだろうなと思った。奥の方に更に家があるようで、
「一族で住んでいるのかもね」と母も言った。海星の地域では見かけないような豪邸だった。チャイムを探してしまうほど立派な門で、
「こういう家に住んでいると彼も大変ね」と母がつぶやいた。
 部屋に行くまで間、無言だった。置いてある調度品も高級品だと言う事は一目瞭然《いちもくりょうぜん》だ。うーん、こんな普段着で来ていいんだろうかというほど恥かしかった。一応、ワンピースだったけれど、小学校まで着ていたという代物で、今は少し背が伸びてしまったので、ちょっと体に合っていなかった。
「こちらでお待ちください」と通された応接間も落ち着いた調度品で整えられていた。すごい部屋だなぁとは思ったけれど、一之瀬さんのような値踏みする目つきはさすがにできずにいた。好奇心丸出しの目線は男子も拓海君も、「あれはちょっと」と裏で言っていたので、しっかり見てるんだなと分かってからは、自分も気をつけようと思った。三井さんのあの露骨な態度も不愉快に感じていた人も多くて、だから、あのコールに発展したと噂されていた。
「さすがに立派な部屋ね。アメリカの金持ちの家も何軒か行った事はあるけれど、日本の地価でこれだけの屋敷はすごいわね」と母が小声で言った。ジェイコフさんが母に何か英語で言っていた。
「半井君のご両親は来られないそうだけれど」と母に聞かれてうなずいた。
「放任主義だと言っていたよ。おじいさんともあまり会ってないんだって」
「そう」と母がジェイコフさんに英語で説明していた。そのうち、佐久間さんがやってきて、英語で話しかけていた。
「大丈夫です。詩織もアレルギーはないでしょう?」と聞かれてびっくりした。
「アレルギー?」
「食べ物よ。好き嫌いやアレルギーなどで食べられないものとか、宗教食のことよ」
「宗教食?」と驚いた。
「説明は後でするわ。好き嫌いは大丈夫?」と聞かれて、
「えっと、野菜がちょっと」と言ったら佐久間さんが笑っていた。
「なんだ、あるの? だめでしょう」と母まで笑って、
「この間、教えたでしょう?」
「トマトとスイカは駄目なの」と佐久間さんに教えてしまって、にっこり微笑んでから戻って行った。
「英語が話せるのはすごいね」
「それはあるでしょうね。会社に勤めていると、工場が海外にある場合もあるし」
「なるほどね」
「宗教食も教えておくわ」と母が説明してくれた。宗教などによって食べられないものがある人がいるそうで、豚肉、牛肉などが駄目な人もいるそうだ。
「招待する場合は聞かないといけないわね。細かい決まりもあるようよ。ベジタリアンの人もいるし」
「それは少しは聞いたけれど」
「そういうことも覚えていかないとね」
「国際感覚って、そういうことなの?」
「ああ、それはね。日本はそうでもないけれど、アメリカや他の国では色々な宗教、考えの人がいるわけだものね」
「そんなに違いがあるものなの?」
「そういうことで喧嘩になることもあるかもしれないわ。国が違えば習慣も違う。人それぞれ寛容な人もいれば許せない人もいるから、気をつけないといけないことは確かよ」
「前に子どもの頭をなでたら怒られたの。それも驚いたけれど、違う日にまた違う人に怒られたの。その場を離れたお母さんがいて、『子どもを見張っていてくれなかった、泣かせた』と怒り出したの。さすがにびっくりしていたら喧嘩というか言い合いになったの。相手が『子どもをしっかり見ていなかったことが悪い』と言っていて、英語で『見ておくように頼んだ』と私とそばにいた子に言ったの。けれど、誰も頼まれた覚えがなくて、言葉が通じないからだと思うけれど、そばにいた人が言うには『聞いていないし言い逃れだ』って喧嘩してしまったの」
「ああ、それは関係ないわ。日本だろうとどこだろうと自分の子どもから目を離したことはいけないと思うから、八つ当たりね」
「は?」とさすがにびっくりしたら、
「シオーリ」とジェイコフさんが口を指差した。さすがにはお呼ばれしている家で、はしたなかったと思ったので、
「sorry」と謝った。
「八つ当たりしたんだ。それも気づかなかった」
「そういうトラブルはよくあるわね。考え違いだけじゃなくてね、相手のほうが悪くてもそうやって言われるようなトラブルはあるからね。お釣りを間違えていたとか、請求書の額が違うなどは多いわよ。だから、自分で言わないといけないのよ。そのお母さんも子どもが泣いていたからパニックになっただけなんでしょうけれど、あなた達に怒るのは間違っているわね。だから、抗議しただけね」
「後から教えてもらったの。その人はそういうトラブルが多いらしくて」
「そう、気をつけなさいね。会は参加してどう?」
「他の国から来ている子がいて、英語と日本語と交えて話しているの。みんな苦労して日本語を覚えているらしいの。数の数え方とか習慣が違うから大変なんだって」
「漢字があるから、困るらしいわね。ジェイコフも苦労しているのよ」
「こっちにすれば英語の意味が分からないしね。単語をもっと覚えろと、半井君が言っていたの。単語力が上がらないと説明しようがないって」
「それはあるわねえ。ニュアンスは伝えにくいわ」と母に言われて、
「そうだね」と言いあっていたら、ノックがあって、半井君がやってきた。彼がジェイコフさん、母に挨拶したあと、私を見てから笑った。
「☆もう、失礼だな」と半井君の日記によく書かれている言葉を使った。
「また、日記から応用したな」と呆れていた。
「だって、笑う事ないでしょう」と怒ったら、
「もっとちゃんと服を買え。正式なものを揃えておいた方がいいぞ。招かれる場合もあるだろう」と言われて、
「そうね。そういうことも気づいてあげないといけないわね。あの人に任せておけないから、詩織のものを揃えていかないと」と母が嘆いていた。
「裾が短いのはいいの」とぼやいたら、
「☆お前はかわいい、しかし、怒るのは困るな」と言われて睨んだ。
「はいはい」と答えたら、
「英語で何とか言えよ」と言われて、
「☆あなたは失礼だ。あなたに言われたくない」
「詩織、喧嘩しないの」と母に言われて、
「☆彼はいつも失礼である。私は彼によって苦しめられます」
「これだけお世話になっておきながら」と半井君が怒っていて、
「拓海君と違って、喧嘩ばかりしているようね」と母に言われて、
「いいえ、僕とも仲はいいですが、人前だと素直になれないようです」と半井君が言ったので、
「☆その言葉をそのまま返す」と言ったら、母がため息をついていて、ジェイコフさんが英語で何か言った。
「何を言ったの?」
「女性を扱う時は優しくソフトが基本だよと言っているの。小鳥を扱うようにですって」なるほどね。
「小鳥ねえ。キンダーちゃんだよな」と言ったので睨んでしまって、
「前途多難《ぜんとたなん》な仲ね」と母が笑っていた。

 みんなで移動して、彼のお爺さんの所に向かった。食堂があって、招待する人が多いのか、かなり広さがあった。
「ああ、よく来てくださいました」と相手が手を広げていた。でも、どうしても見てしまう。すごい、綺麗に……、
「ああ、始めまして、孫がお世話になりますなぁ」と声が明るく活力があった。こっちが気おされそうで、ジェイコフさんと握手をしていた。
「孫から話は聞いていますよ。立ち話もなんですから、どうぞ座ってください」と案内していた。半井君がこっちを見ていて、それから笑ったのでばれちゃったかなと思った。
 佐久間さんが椅子を引いてくれて母が座っていて、半井君がそばに来て手を持ってきたのでびっくりした。
「そちらへ」と言われて、態度が変わったので、二重人格だなと思ったけれど、さすがに言わなかった。席まで案内してくれて、椅子も引いてくれて、仕込まれているなと思った。
「篤彦もこんなかわいいお嬢さんと付き合っているとは隅に置けない。さすがにわしの孫だけはある」と言ったので、訂正しようとしたら、
「お爺様、彼女が僕の恋人の佐倉詩織さんです」と平然と紹介したので呆気に取られた。お爺様に気づかれないようにウィンクしながら彼も席に着いた。なんだか言葉遣いまで変えている。猫かぶりだなと思いながらも表情に出さないように気をつけた。
「いやあ、孫は私に似ていい男でしょう? 息子も私に似てねえ。いやあ、光り輝いている」と言われて、思わず上の方を見そうになって視線を下げた。半井君が気づいて、
「笑ってもいいぞ」と言ったので睨んだ。いくらなんでも笑えなかった。綺麗に……髪の毛がなかったからだ。
「息子は今日は生憎、同席できないが、一人はわしの仕事を手伝い、次男の方はあちこち海外を転々としている。一番下の娘は嫁いでおりましてね。孫は何人かいますが、どれも見所はありますが、篤彦は特に目をかけておりまして」
「立派なお孫さんですね」と母がお世辞を言った。普段の生活を見ていたら、絶対に言えない……とは思ったけれど、黙っていたら、また、半井君がこっちを見て笑っていた。
 その間に、どんどんテーブルに色々置かれていった。
「息子は道楽《どうらく》で寄りつきもしませんな。大学で音楽を学んだようだが、唯一親孝行したのは結婚相手ぐらいなものでね」
「お爺様」と半井君が軽く遮《さえぎ》っていて、
「そうだな。さぁ、始めましょうか」と言って、乾杯する事になった。

 食事が進むに連れて、さすがに慣れているなと思った。目の前にいる半井君は上手にフォークやナイフを使って食べていた。私は直前に教えてもらったマナーで見よう見まねで食べていた。こういう食事をして育ってきたら違うなぁ。上げ膳据え膳ってうらやましい。半井君は背筋を伸ばして食べながらも会話の中に入っていて、私は食べるのに精一杯だった。
「私も外国には行きましたが、中々通じませんな。ジュークと言うんですか。それが違いますね。『かえるのこは振り返る』とか、『トイレにいっといれ』とかは使いませんからな」と言ったため、一瞬、沈黙になった。
「いやあ、すみませんな。これは失敬、失敬。また、やってしまったなぁ」とお爺様が笑った。
「お爺様、そういうことは控えてください。今日は僕の大切なゲストなんですよ」と半井君が止めた。
「そうだったなぁ。つい、言ってしまう。『猿も木から滑る』ということですな」と言われても誰も笑わなかった。

「爺さんの話は疲れるよ」と食事が終わって、くつろいでいる時に半井君が寄って来てそう言った。お爺様は食事が終わったあとは用事があるということなので、この場にいなかった。
「爺さんのあの笑えないギャクに、誰も反応しないとよけいに言うんだよな」とぼやいていて、
「いや、笑っていいのかどうか、緊張して」
「ああいうことばかり言うんだよ」
「ふかひれスープの人に言われたくないでしょう?」
「それも爺さんの受け売り。向こうのジョークと違うから使えないよ」
「サーロインだって使えないじゃない」
「あれをアメリカ人に言うかよ。日本人に言うとそれなりには和むからな」そうかなぁ? 首を捻っていたら笑っていた。
「あの人の場合は元気が良すぎるよな。親父もそうだけれど活力がありすぎる」
「あなたは違うの?」
「病弱だった母に似ていると思われているかもな。体型とかはそうだからな」
「見た目は違うの?」
「親父にも似てるよ。性格は爺さんに似てると言う人と親父似だという人、ばらばらだな」
「ふーん」
「母親に似てるといいけどな」
「どうして?」
「女性に熱心というのが、この家の血筋と思われているからね。おじさんも爺さんも親父もだ。おばさんが呆れていた」
「なるほどね」
「祖母さんも相当泣かされたらしいぞ」
「じゃあ。似てるじゃない」
「似てないな。お前はつくづく誤解している。これだけ尽くしていると言うのに」
「尽くしてないよ。あなたの場合はどこまでが本気か分からないし」
「半分本気、半分冗談」
「だから、それがおかしいの。境界線が分からない」
「分かるようになれよ」
「それはおかしいよ。あなたが分かりやすくなった方が早い」
「お前が分かってくれればそれでいいよ」
「一生、分かる事はないと思う」と言ったら、小突かれた。
「猫かぶりな性格だよね。おじいさんの前では言葉遣いも態度も違う」
「薄々知ってるさ。爺さん、狸だから」
「狸?」
「食えない人だぜ。ああいう変なことは言うけれど、人のことはよく見ているしね、俺も未だにわからない」
「似てるわけだ」と呆れたら、
「そうかもな」と笑っていた。
「それにしてももう少し、いい服を買ってもらえよ。それじゃあ、デートもできない」
「しないからいいよ」
「俺がはずかしいだろう? レストランには行くかもな。記念日にね」
「記念日?」
「クリスマスと感謝祭は家族で過ごすけれど、バレンタインにデートはするぞ。チョコと花、もしくはカードを贈る」
「へぇ、こっちと違うね」
「クラスメイトでも送るさ。そういうのは違うかもな。誕生日だって、それなりにはするさ。お前たちのように手をつないでデートなんてかわいい事はちょっとね」
「いいじゃない、別に」
「奥手で鈍くて分かってないから、教えないといけないことが増えるよ」
「いいよ。あなたは寮に入って好きなだけ相手を見つけてください」
「ああ、それね。言っておかないとな。結果が届いて、ランプトンに行けることになったよ」
「そう、良かったね」
「イーツはまだだけどね。あっちの方が難しいし」
「お母さんに聞いた、東海岸の方が有名校が多いって」
「ああ、それね。寮制の学校はそれなりにあるけれどね。俺はあっちは苦手」
「どうして?」
「仕方ないさ、いい思い出がない。それに寒いのはちょっとな。知り合いが多いほうが何かといいだろうと思う。そこまでの名門校は狙ってないし」
「ひょっとして、もう決めてるの?」
「UCLAとかUSCとか行きたがる人が多かったよ。俺も出来るならそうしたいけれど、がんばらないとな」
「どこ、それ?」
「これだから、俺の恋人は」
「違う。あなたはただのお友達。お爺様の前で恥をかかせるわけにいかなくて訂正しなかっただけ」
「いいさ。どうせそうなるし、時間の問題だから」
「ち」がうと言おうとしたら、「詩織」と母に呼ばれて、
「そろそろお暇しましょう」と言われて頷いた。母たちは佐久間さんに地図やその他の紙を見せて説明をしていた。写真もいくつか用意してあって、
「お世話になります。旦那様がくれぐれもよろしくと。坊ちゃまは少し羽目をはずしやすい方ですので、いくらでも厳しくしかってやってください、とのことです」と言ったので、びっくりした。しっかり知っているらしい。
「ほら、そうだろ。食えない爺さんだ」
「坊ちゃま」と佐久間さんが苦笑していた。
「宿題をちゃんとやれよ。向こうの家に行っても、遊ばずに英単語ぐらいは覚えておけ。アメリカの問題も出したのは、ちゃんと書いておけ」と命令されて、
「やっぱりやるんだね」と言ったら、
「受験生にはクリスマスも正月もないんだぜ。俺たちも同じだ。お前はまだまだ幼稚園児だ。絵本を卒業したら一人前に扱ってやる」
「先生厳しいなぁ。いいじゃない。兎とかクマとか載ってるほうがかわいいしねえ」
「子どもだよな。まだまだだ」とやりあっていたら、みんなが笑っていた。

「あのおじいさん、困るわね。『頭に鶴を飼っています』はジェイコフに訳してくれと言われて何も言えなかったわ」と母が苦笑していた。そんな事を言ったのか……。
「後光がさしてたね」
「こら、詩織。言いすぎよ」と言いながら母も笑っていた。明るいおじいさんでびっくりした。とても有名企業の偉い人には見えない。偉ぶったところがなく、気さくで話しやすかった。佐久間さんも優しそうに見えて、そつなく手配していて、昔はさぞかし有能だったんだろうと感じた。
「半井君もずっとあの家にいるようね」と母に聞かれて、
「あの家で本を読んでるらしいよ。勉強疲れもあるけれど、あの家では半井君に読ませる本を渡すんだって。すごいね。教育方針が違う」と言ったら、笑った。
「アメリカの学校の宿題の話は聞いている?」と母に聞かれて、
「レポートでしょう? 読書感想文とか、歴史人物についての意見とかは聞いた」
「それ以外にもあるわ。政府組織の仕組みを検討せよとかあったようよ。政策のことも出た学校があったそうね」
「難しすぎる」
「小学校で出されたのは、知っている動物を30挙げる、とかね。あなたの周りの春を探してください。一番思い出深いエピソードも添えて、と言うのがあったんですって。親も必死で探したみたい」
「ちょっとすごいね、それって。動物を30も挙げられないよ」
「でしょう? 図鑑とか調べないとね。普通に調べてもそこから掘り下げないといけない宿題を出されるの。丸暗記や日本で出されるような宿題はあまりないそうね」
「なんだかハイレベルだね」
「日本の大学だとそういうレポートは書いても高校や中学ではないわね」
「グループ研究の時に、半井君が詰めが甘い内容だと言ってたの」
「それはあるわね。アメリカでは自分で考えて自分の意見を言えないとね。レポートの後に発表がある場合もあるからね。エッセーが書けないと」
「来年の課題がそれ。今の日記の後に出すって。アメリカ史も全然分からない。歴代大統領、50州は全部言えるように暗記しろって」
「そんなことまでやってるのね」
「話題に付いていける方がいいだろうと言ってたの。アメリカの事を知らないと困るだろうからって」
「そう、彼に任せて正解ね」
「でも、厳しいよ。全部自分でやりなさい、調べなさいと言うんだもの。学校の先生よりは厳しいかもね。睨むから」
「それぐらいでいいわよ。今のうちから慣れておきなさい。大学まで行くのならそれぐらいはね」
「そこまでの道が見えないよ」と言ったら、
「何ごとも一歩ずつよ」と言われて、一歩の歩幅は小さいかもしれないなと考えていた。

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