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犬と猫

 戻って来てから半井君から電話があって、進み具合を聞かれた。
「あまりできなかった」とぼやいたら、
「なんで?」となじるように言われた。
「毎日、誰かが遊びに来て妨害した」
「田舎だな」
「しょうがないよ。途中で誰かの家に寄るのは普通なんだし」
「ふーん、仲がいいんだな」
「仕方ないよ。協力していかないと回っていかないって聞いたよ。お互いに困ったことがあるからね。台風とかその他色々。急病が出たらみんなが助けるし、お年寄りだけの家だと車を持っていなかったりするし」
「ふーん、なるほどね」
「それより、そっちはまだ、あの家にいるの?」
「本を読まされたり、色々だ。前は家庭教師をつけていたけれど、日本のことについても勉強はしていかないと困るから、本を読んでおけってさ」
「すごいんだね」
「仕方ないさ。アメリカにいて中途半端になるのが一番困るからな」
「中途半端?」
「だから、英語も日本語も、語彙《ごい》力などがどちらも上がらない人がいる。勉強が好きなやつだけじゃないからな」
「そうなの?」
「小さい頃に来てる人は文法とかおかしくなるし、大きくなってから来ると発音で苦労するし、人によって違うさ。自分で補完していかないとさすがに無理だぞ。家庭教師をつけるのもよくあることだからね」
「そうなんだ?」
「仕方ないさ。俺たち以外にもエッセーなどの手伝いをしていた大学生とか高校生はいるよ。エッセーなんて現地の子でも苦労するんだからな。何ページも読まされてそれについて書かされる。読むだけでも一苦労だから」
「大丈夫かな?」
「だから練習してるんだろ。いつまでも絵本を読んでないで新聞、雑誌に切り替えろよ」と怒られてしまい、
「はーい」とちょっと落ち込み気味に言ったら、
「日記も毎日書くんだぞ。それから、もっと返答の幅を広げろ。少なすぎる。了解や断り表現の数を増やせ」と、怒られて、まだまだだかもと思った。

「☆すみません、私は今回、再びそれをするつもりです」と英語で言って、
「あれ、違う意味になっちゃった。☆ありがとうございます。 しかし、私は用があります。 また違う機会に」と言ってから、違うかなぁ?……と考えていた。
「☆いつかそれをしましょう、でいいかなぁ」と言いながら料理していた。
「詩織、うるさいぞ」と父がトイレに行く時に聞こえたらしくぼやいていた。母とジェイコフさんが帰ってしまっているというのに、まだ拗ねている。
「No, thank you.  いいえ、ありがとうございます。I'm afraid I can't. 残念ですが、できません。I do not think so.  そう思いません。I cannot agree.  私は同意できません。他にあったっけ?」そう言いながら作り終えて、持って行った。
「Help yourself please.」
「なんだ?」と父が驚いていた。
「毎日言ってるじゃない。召し上がってくださいという意味で言ったの」
「ふーん」と言いながら食べ始めていた。
「☆ビールはいかが?」
「だから、日本語で言え」と言われてお皿を提げようとしたら、
「下さい」と父が恐る恐る言っていた。
「☆お気に召しましたか?」
「はあ」と父が情けない声を出した。わかってないらしい。
「じゃあ、『 ☆どう?』 」
「日本語で言ってくれ」
「美味しい?」と聞いたら、
「まあまあだ」と言ったので張り合いがないなぁと思った。
「Soーso.ね。That is delicious.と言えないの」
「言わない」と拗ねていて、非協力的だなぁと呆れていた。

「☆私の父は手伝ってくれない〜♪ なぜ? 彼は冷たいのだろうか、それとも娘に興味がないのだろうか〜♪」と英語で歌うようにしていたら、
「なんだ、その歌は?」と父が通りかかって聞いた。
「☆この歌、私の父は冷たい」
「冷たい? 歌?」
「そういう感じ」と言ったら父が睨んでいた。
「☆彼はマザコンかもしれない〜♪父はお城に住んでる王子と同じ〜♪」と歌ってから気になって、「あれ? 微妙だなぁ。城にの前置詞は『in』じゃないかも『at』かなぁ?」
「今、悪口を言ったろ」と父が睨んでいて、
「日記の練習だってば、気にしなくていいよ。Sorry,sorry.」
「今、ソーリーと言ったか?」と睨んでいて、
「大丈夫。深い意味はないよ」と言ったらまだ睨んでいた。

 半井君が家に戻ってきたので呼び出された。玄関先で、
「英語で新年の挨拶」といきなり言われてしまった。
「A Happy New Year. どうぞよろしくって、なんて言ったっけ?」
「☆不合格。昨年私にとても親切だったあなたに感謝します。もしくは、『☆あなたが幸せでありますように』ぐらい言え。どうぞよろしくは英語ではあまり言わないぞ」
「そうですか」と言って、家に入ろうとしたら、
「やり直し」とにらまれた。
「☆いい年にしましょうね」
「微妙だなぁ。まだまだだ」と呆れていた。
 部屋で勉強していたら、
「雨がやんでよかったよ。ネコと犬の雨だから」と突然言われて、
「は?」と思わず言った。
「よく降る雨の事をそう言うんだよ。It rains cats and dogs.」
「へぇ、初めて聞いた」
「犬という言葉でも色々使えるんだよ。『lead a dog's life 』悲惨。『go to the dogs 』駄目になる。『work like a dog 』がむしゃらに働く。そういうのがあるの。調べておけ」
「また、ですか」とノートに書きつけた。
「英語だって慣用句はあるさ」
「覚えることがいっぱいだ」
「『cat-and-dog』で喧嘩ばかりしていると教えてもらったことがあるけどね」
「私たちみたいだね。猫とねずみじゃないの?」
「それも別の意味があるぜ。調べてみろ」
「ふーん、あるんだ」
「『Gather ye rosebuds while ye may.』さて、どういう意味でしょう?」言いながら笑っていたので、
「なんだか、あやしい」
「摘めることができる間にバラのつぼみを摘んでくださいという意味」
「本当に?」と聞いたら笑っていた。あやしい。
「☆子供と……」
「何よ、なんて言ったの?」
「詩織ちゃんは自力で調べましょうね」と子どもをあやすように言った。なんだか気に食わないなぁ。

「☆私には先約があります」
「駄目」
「☆すみません、私は既に先約がありまして」
「駄目、誠意がない」
「どう言えばいいの?」
「デートに誘われた。もしくはパーティーに誘われた。気を悪くさせたら、今度から誘ってもらえないだろう? 明らかに気がないならともかく、もう少し、『せっかくだけれど』の文を途中で入れろ。やり直し」と怒られた。断り方のレクチャーを受けているけれども、全部駄目と言われてしまった。
「☆招待ありがとうございます。 残念ながら、しかし、私はそれを受け入れることができないでしょう」
「まだ、ちょっと足りないな。気心が知れた相手なら、さっきのでもいいかもしれないが、最初のうちはそれなりに丁寧≪ていねい≫にしておいた方が無難だな」
「そういうものなんだ?」
「そういう部分はこっちと一緒だ。『せっかくの話ですが、私にはご立派過ぎて』と見合いを断るのと一緒」
「よく知ってるね」
「そういうことで断られていた人がいたと聞いただけ」
「なんだか、世間知らずだね、私」
「今頃気づくなよ」と呆れていた。
「今度は了解の方だ」と言われて、
「はーい」と言ったら睨まれてしまった。

「ホワイトハウスはどこの州だ?」と聞かれて、考えていた。
「ブブー。じゃあ、次。アメリカは50州ありますが、最後に加わったのはどこ?」
「あ、それ、確か、ハワイ」
「やっと正解かよ。お前は何を読んでいるんだ」
「そう言われても、まだ、全然消化してなくて」
「困ったやつ。また、問題出すから読んでおくように」と怒られた。
「先生、答えは?」
「自力だ。当然だ。勉強とはそういうものだ。誰かに教えてもらったら身につかないと言っただろう」
「そうだけれど、気になるよ。ホワイトハウスってどこなんだろう?」
「ワシントンDCで調べてみろ」
「はーい」
「大統領は言えるようになったか?」
「まだ、微妙」
「困ったやつ。まだまだだよ」と呆れられてしまった。

 半井君は勉強せずに本を読んでいて、その後、こっちを見た。
「勉強は?」
「一日、一冊読んで感想文を提出するのが勉強なんだよ。俺は国語の成績が悪いから、爺さんに怒られて、家庭教師の提案でそうなったんだよ」
「家庭教師って誰?」
「当時大学生だった知り合いの息子さん。その後、アメリカの大学院に行ったんだよ。俺に取っては未だに先生だからな」
「ふーん。優等生なんだ?」
「逆。あの爺さんのお気に入りだぞ。親父ギャクにも合わせられる柔軟性のある人だよ。ハッキリしてるしね。俺も結構影響受けたな。ポイントの抑え方をかなり教えてもらったからね」
「ポイント?」
「勉強をするときのコツ。人間関係での立ち回り方とか、色々。あの人、要領がいいというか、まぁ、明るくて相手の懐に入っていくのが上手だったな」
「ふーん、そういう人が家庭教師だったんだ?」
「いとこの雅彦なんて、あの人の事を、目くじら立てて怒ってたよ。真面目すぎてね。次男の隆彦はそれほどでもなかったけどな。文彦おじさんは面白い人ではあったけれど、息子は似てないね。母親が神経質なところがあったからな。俺なんて、近寄ってほしくないという態度だった。今は離れて住んでるから、気楽だ」
「奥の家?」
「そう。新たに建てたんだよ。仕方ないさ。爺さんと文彦おじさんはそれほどでもないけれど、奥さんとは合わないからね」
「そう」
「浮気を繰り返してる夫をお嬢様育ちの妻が許せるわけがない」
「それはちょっと」
「その娘の優美子なんてお人形さんみたいだけれど、俺は親父の妹の絵理おばさんと娘のさやかの方が気が合うよ」
「お人形さん?」
「綺麗な子だってことだよ。母親似でね。見た目はいいけれど、母親の顔色を伺って話せなかったしな」
「そういうのがあるんだ?」
「お前のところとは違うさ。金持ちだという自負でもあるんだろうな。俺は良く分からない。親父は金なんてあるのか、ないのか」
「え、そうなの?」
「親父となんて話さないからな。昔からね」
「どうして?」
「さあな。小さい頃は母親と2人で過ごして生きてきたからな。疑問に思ったって聞いてない性格だ。爺さんと同じように明るくはあるが、普通の夫婦ではなかったから。だから、母親は裏で泣いていたんだろうし」
「え?」
「お前を見てると駄目だなぁ。この間、ずっと見られなかったアルバムを見たんだ。そうしたら、お前にはあまり似てなかったんだよ。意外と記憶っていい加減だ」
「何年、見てなかったのよ」と睨んだ。
「見ると寂しい頃を思い出して、辛くなるから、無理だったんだよ」と言われて驚いた。
「お前に出会えたから、やっと見ることができたのかもね」
「どうして?」
「辛い思い出は封印したくないか?」と聞かれてうつむいた。
「お前もあるだろう? そういうことだ。でも、やっと普通に見られたな。お前のお陰だよ」
「でも、似てなかったんでしょう?」
「そうだけれど、色々思い出していたよ。優しい人だったしね。声のかけ方が似てるんだよ。優しく声をかける」
「私が?」
「そうだ。似てる。声の感じが少し似てる。だから、思わず振り向いた。それから、お前を見かけると見るようになったな。バスケの見学の時にお前が近くに座っていて、みんなと話し合っていた。どういう練習をしたらいいとか、欠点はこういう部分でとか、教えていてびっくりしたけれどね」
「いつの話?」
「転校してすぐだったかな? こんな学校、どこがいいんだか……とふてくされて歩いていた。私立に行けと言われたけれど、意地でも行ってやるもんかと赤瀬川に行かなかったんだよ。でも、後悔した。うっとうしかったよ。特に一之瀬。日本って変な国だな、とか思ったしね。向こうでも日本人はいるけど、嫌がらせはあったみたいだ。噂は聞いていたけれど、でも、目の前で見るとうっとうしいよな。そういうわけで、ロザリー以外はうっとうしいなと思っていた時にお前を見つけた。優しい声であのお嬢様と話していてね。誰かに似てると、そのとき思った。後から、何度かお前を見つけては観察してたけれどね」
「やな人だなぁ。勝手に見ていて」
「いいだろ。それぐらいしか楽しみなんてないじゃないか。日本の学校は進んでいるから勉強が大変と聞いていたけれど、海星はのんびりしていたし、赤瀬川に行けば良かったなと思ったよ。一人暮らししてるとばれてPTAはうるさいし、家にいたって面白くないから仕方なく部活にでも入るかと思って、どこかに所属しようと見学に歩いていたら、お前がいただけ」
「どうして、赤瀬川に行かなかったの?」
「俺が行きたかったのはランプトン。だから、赤瀬川じゃ嫌だと言ったけれど、駄目だったな」
「どうして?」と聞いたら黙った。
「悪い。まだ、無理だ。続きをやろう」と言われて、
「ごめん」と謝った。
「やっと、落ち着いてきたよ。念願のランプトンにいけるわけだしね。お前のお陰だ」
「え、でも、それは違うじゃない」
「違うさ。また、やる気になったってことだよ」と優しく笑っていた。

 帰る前に、「バラのなんだっけ?」と思い出して置いてあった辞書で調べようとしたら、笑い出した。
「なに?」と睨んだ。
「やっぱり何かあるんじゃない、今度は何よ」
「バラの蕾は ……」と笑ったので、
「なんか、また、そういう方面?」と睨んだ。
「若いうちにやりたい事をやっておけと言う意味。後で調べたら」
「そればっかり」
「お前の場合はからかい甲斐があるな。もっと鍛えないと。ジョークをジョークで返すぐらいになったら合格だな」
「その前に、どういう意味?……と聞くから、無理じゃないの?」
「それをすぐに分かって、さっと返すぐらいの機転がほしいってことだよ。額面どおりの意味以外に、別の解釈もできるってことは日本でも良くあるじゃないか」
「それはそうかもしれないけれど」
「お前はうぶだからな。少しは成長してほしいもんだ」
「あなたの場合は絶対に誤解じゃないね。プレーンだろうがフランクだろうが、ニュートラルだろうが、遊び人だった男、どこまでが本気か分からない人としか見られないけれどね」
「俺はこういうタイプなんだよ。つかみ所がないってことさ。全部分かるわけないさ。俺も戸惑うぐらいだから」
「どうして戸惑うのよ?」
「つい言ってしまってるからな。お前の場合だけ不思議だ。巻き込まれたくないと思いながらいつのまにかどっぷりつかってる」
「そう?」
「そうだろうさ。以前の俺なら、山崎によけいな事は忠告しなかった。そのほうが都合がいいからな。お前たちが別れてくれたほうが」
「どういう意味よ?」
「言ったろ。引き裂きたいんだろうな。お前たちの仲をね」
「え?」とじっと見たら、はぐらかすように本を戻しながら動いていた。
「あなたの場合は意味不明すぎて理解は出来ないと思う。プレーンだろうが、関係ないよ。そっちが見せてないだけじゃないの」
「全部見せたら嫌われるかもな」
「どう言う意味よ?」
「俺の場合はお前と違って優しい環境じゃなかったってことだよ。いいさ、それなりに分かってくれたらいいんだ」
「別に私じゃなくてもいいじゃない。他の人に見せたら。霧さんじゃなくても、いっぱいいるでしょう?」
「あいつらに俺の痛みは分からないね」
「どうしてよ?」
「自分本位だからさ。ラブレター見ても俺の事なんて分かってないと言う文面だよ。『好きです、付き合ってください』『好きになりました、カッコいいですね』話してもいないうちから使うなと言いたいね」
「どう言う意味?」
「アメリカと違うからな。一目ぼれして付き合わないと言ったろ。それに『アイラブユー』と平気で書くんだぞ」
「え、そう? それぐらいは使っても」
「前も言ったろ。話したこともない、俺の事を見た目でしか判断していない状態で使う言葉じゃないさ。かなり付き合って、お互いを理解してから使った方がいい言葉なんだよ。重いと言ったろ」
「家族では使うんでしょう?」
「俺の家族で使うかよ。仲がいいところならあるけれどね。俺の事を分かってないうちからは簡単に言ってほしくないね。それより、『先輩に興味があります。デートをしてお互いの理解を深めませんか?』ぐらいで止めておいてほしい」
「難しいんだね。どっちもそう変わらない気がするなぁ」
「そうかもな。でも、俺は無理。じっくり観察してから相手を知りたいと思うのかもな。前もそうだった。気になる事があって興味を持ってね。そうやって観察してからじゃないと無理。初対面でデートも無理かも。遊びならいいけどね」
「だから、そこが変なの。遊ばないでよ」
「今はしてないと言ってるだろ。当時はそうでもしないとやりきれなかっただけ」
「当時ってね。あなたはいくつなのよ」
「いいだろ。大人ぶってただけだ。そういう時期だってあるさ」
「ないよ」
「そうか? お前はつくづく奥手だな。霧なら前の学校で色々ありそうだぞ。外人と遊べるのはすごいからな」
「一之瀬さんだってそうじゃない」
「親にばれて止められているとか言ってたけれど、内緒で遊んでるみたいだぞ。数学が下がったとぼやいていたようだけどね」
「ふーん」
「山崎とおこちゃま恋愛してるうちは無理そうだな。相手は変える時期かもね」
「ありません」と睨んだら笑っていて、ごまかすように、
「ああ、そうだ」と言って机の中から何か取り出していた。
「はい」と渡してくれて、
「なに、これ?」と聞いた。
「しおり。お前の名前にちなんで俺の合格祝いに作ってやった。暇だったからな」と言って渡されたものを見た。封筒の中にしおりが入っていて綺麗な花が描かれていた。
「綺麗」
「かわいいだろ。少しは俺の気持ちも分かれ」と言ったので、
「どう言う意味?」と聞いた。
「白いアスター、ソリダスター。かわいい花だからな」と言ったので、意味不明だなぁと見てしまった。


特別練習


 冬休みが終わり、教室では「元気だった?」と言い合っていて、
「お前、やったか?」と男子は探り合っていた。
「私、疲れましたわ」と碧子さんが言ったので、
「そんなに勉強したのか?」と聞かれていた。
「あら、そうじゃありませんわ。来客があまりに多くて、それで」と答えていて、
「碧子さんの家ならそうかもな」とみんなに言われていた。楢節さんの家も来客が多いと聞いた。半井君の家も多そうだ。私の家といえば……、
「佐倉は餅、食ったか?」と保坂君に聞かれて、
「それどころじゃなかった。夜通しの飲んで騒いで、料理作って、人数が多くて、大変で」
「親戚が多いんだ?」とそばにいた須貝君に聞かれて、
「違う。近所の家で集まるのがいつもの事なの。今年はなぜか多かったの。大学に行った人とか帰ってこなかったんだけれど、今年は集まったからね。それで、男が多くて大変だった。お餅をいくら焼いても間に合わなくて、自分が食べるどころじゃなくて」
「餅つきって、一家総出でやるよな」とそばの男子がうなずいていた。
「えー、買うんだろ」と佐々木君が驚いていて、
「俺のところは近所で集まったり、親戚でやるけれど」と須貝君が言っていて、地域格差があるなぁと思った。

「なんだか疲れましたわ。海星はいけそうもないですし」と碧子さんが言ったので、
「え?」と聞き返した。
「保坂君はどうか知りませんけれど、佐々木君は変更するように言われたそうですわ。最終までまだ間に合いますし」うーん、厳しいんだな。年末は行くような事を言っていたのに。
「親戚が集まって話を聞きあったそうです。高校受験に失敗して、その後ぐれてしまった人、受かっても遊びすぎて進学できなかった人などがいるそうで。私もどうしようか迷いましたの」
「そうなんだ」
「無理して受かった方もいるし、当日体調を壊して駄目になった方もいるし、色々ですわ」
「それは困るね。風邪を引いたりしたらぼーとしちゃうだろうし、台無しだね」
「プレッシャーと前日までの無理があったそうですわ。可哀想ですわよね」うーん、がんばりすぎちゃったんだ。あの半井君でさえ寝てたからなぁ」

「それ、かわいいね」と遼子ちゃんに言われて、
「見せて」と美菜子ちゃんにはさんでいたしおりを見せたら、
「へぇ、花だね。綺麗、描いたんだ?」と聞かれてあいまいに笑った。
「上手だね。綺麗。なんて、花?」と聞かれて、
「アスターとソリ、ソリチュード?」と言っていたら笑われてしまった。
「見たことがありますわ。生け花で使ったような。確か、ソリダスターですわね。花言葉はなんだったかしら?」と碧子さんが考えていた。
「この時期なら合格祈願だから、やっぱり希望だよね」と聞かれて、そう言えば知らないなぁ、聞けばよかったなと思った。
「図鑑に載ってるんじゃないか?」と佐々木君が口を挟んできた。
「どうせなら、お慕いしておりますとかそういうのがほしい」と美菜子ちゃんが笑いながら言った。
「えー、そういうのを渡せる訳ないじゃん。俺、苦手」と佐々木君が言ったら、
「そうか? 俺は考えて贈ってもいいな。花屋に聞けば考えてくれそうじゃん」そうか、そういうこともするんだ。
「ありがとう」と言って返してくれた。
「佐倉、この時期に本を読むな」と佐々木君ににらまれた。
「あれ、英語の本じゃないの?」と聞かれて見せた。
「へぇ、英語じゃん」と言われてうなずいた。半井君が貸してくれたのだ。
「絵が載ってるけれど、それって面白いのか?」と聞かれて、
「さあ」としか言いようがなかった。

「詩織」と拓海君に呼ばれるまで本を読んでいて、
「なんだよ、それ?」と聞かれた。
「課題。読書感想文を書けって」
「ふーん。この時期にか?」と聞かれて本を見せた。
「あいつか?」
「読書感想文を英語で書けって」
「ハードル高いな」
「これはすぐじゃないの、さすがにね。母にお土産でもらった新聞の感想文から始めろとは言われたけれど、これはそのうち、提出しないといけないから、少しずつ読んでおこうと思って」
「新聞ねえ。まさかと思うけれど」
「そう、英字新聞と雑誌をお土産にもらった。彼が頼んでくれておいたようで」
「あいつは次から次へとやってるな」
「さあね。彼のほうも色々あるみたいだしね」
「英語で感想なんて書けるものなのか?」
「昔書いた作文のようになるだろうね。『そう思いました、まる』って言うのを並べるよね」
「私はこう思います、こう感じましたぐらいだよなぁ。細かく書けるわけはないよな」
「でも、慣れるしかないって。日本語で書いてから英語で書くにしても、なんだか文法やら時制やら面倒で」
「それはそうだろうな」
「つくづく未熟なの」
「仕方ないさ。そういうのはね。最初から漢字を書ける訳じゃないだろう? 『あいうえお』から始めてさ。少しずつ覚えていくのを、いきなりやってるからな」
「そう言われたらそうだよね。未だに英語は幼稚園児だな」
「そう言われたら、俺も困ったよ。ジェイコフさんのあいさつ文。本を買って練習はしたけれどね。全然使えなかった」
「父も同じだよ。お母さんが『情けない』を連発してた。『別に日本語で話せばいいじゃない』と、怒っていた。ジェイコフさんは日本語を少し話せるからね」
「すごいな」
「どうして、ああも上達が早いんだろうと思ったら、違うみたいだね」
「なにがだよ?」
「取り組む姿勢が。好奇心が強いし、どんどん使っていくからね。日本人は恥かしがって使わないから」
「それはあるな。間違ってたらどうしようとは思った」
「えー、そうは見えなかったよ」と言ったら笑っていて、
「はったりはあるね。俺、度胸はあるのかもしれないな。本番に強いと何度も言われるから」うらやましい。父と私は全然ないな。
「まぁ、いいさ。お前も少しは勉強しろよ」
「それはやります。向こうに提出しないといけないらしいからね。今度も確実に先生にボーダー決められそうだ」
「みんなは必死になってるよ。私立はもうすぐ決めないといけないし、公立だって、もめるからな」
「変更する人っているのかな?」
「いや、少ないけれどね。それでも親と色々もめるらしいよ」
「そう」
「それより、あまり根詰めるなよ」
「大丈夫、やらないと困るもの」と言ったら笑っていた。

 面接の練習をそのうちやるという話もあって、あちこちで騒いでいた。
「髪形変かな?」と女の子が聞いたら、
「いや、顔が変」と答えた男子を叩いていた。
「俺、敬語なんて使えないよ」
「親にもため口かも」
「親とは口聞かない」と言い合っていて、そうか色々いるんだなと聞いていた。碧子さんがいなくて一人で本を読んでいたら、
「あの、それ」と言って、そばを通りかかった布池さんが聞いてきた。
「なに?」と聞き返したら、はさんでいたしおりを見ていた。
「ああ、これ」
「それ、もしかして。彼が描いたの?」と聞かれて驚いた。
「あ、いいの。なんだかスケッチと似てる気がしたから」と行ってしまった。スケッチかあ。似てるかなぁ? 絵のタッチがどうとか分からないなぁ。彼女は時間が掛かっていると言ったけれど、霧さんの絵も時間をそれなりに掛けたように見えて、区別がつかなかった。見る人が見ると分かるのかなぁ。
「なに、それ?」とそばを通りかかった子に聞かれた。
「ああ、なんでもないの」としおりを挟んで本をたたもうとしたら、
「この時期に余裕ねえ」と三井さんが笑ってきて、
「あら、英語の本? それ、私も読もうと思ったんだけれど、英語だったから、全部は」と仙道さんに言われて、すごいなぁと思った。
「英語?」と怪訝そうな顔をして覗き込もうとしていたけれど、
「コールするぞ」とそばにいた男子が笑った。
「なによ」と睨み返していて、
「やめると約束してくれたでしょう?」と仙道さんが優しく注意していて、2人が睨むのを渋々やめていた。
「三井さんも、あまりやらないほうがいいわ」と言ったけれど、逃げるようにして行ってしまった。
「あの子、懲りてないわね」とみんなが困った顔をしていた。

「先生、そこ間違ってます」とまた、桃子ちゃんにつっこまれて、先生がたじたじになっていた。
「佐倉、読んでくれ」とあてられて、読み始めたら、
「早いって」と男子に言われて、
「佐倉、ゆっくり読みなさい」と先生に怒られてしまった。英文を読むのが少し早くなってきたようで、
「スラスラ読めていいよなぁ」とそばの男子がぼやいていた。
「インターナショナルスクールなら行きたいよ。受験から逃げられるなら」
「インターナショナルスクール?」と先生が驚いていた。
「そうだったか? 確か……」と先生に聞かれて、
「先生、続きを読んでいいでしょうか」と止めた。
「ん? ああ、そうだったな……」と先生が言葉を濁していた。

「ねえ、インターナショナルスクールじゃなくて、違うところなんだってね。落ちたんだ?」と廊下で会った宮内さんに聞かれて驚いた。一之瀬さんがそばにいて、ほくそえんでいた。また、変な噂になってるな……。
「ねえ、どこよ。ごまかしたって、すぐばれるよ」
「数学35。国語43。さて、誰の点数だろう?」と通りかかって男子が言ったため、びっくりした。
「さぁ、誰だったっけ? 俺は知らないなぁ」と言って通り過ぎていた。
「なによ、あれ」と睨んでいて、
「あんた、そんなに良かったの?」と一之瀬さんが言ったため、相当悪いんだなと思っていたら、隣で男子が噴出していて、
「なによ」と睨んでいた。
「やめないか」と永峯君が気づいて止めに来た。
「何をしている?」と聞かれて、
「行くよ」と2人が逃げた。
「何度注意しても直らない」と永峯君が困った顔をしていた。
「大目に見すぎていると怒られてね。対処しないと困るようだ。うちとE組とそちらの組での差があると文句が出てきていてね」
「文句?」
「対応に差があるんだよ。AからCまではそれほどないけれど、うちの柳沢先生は判断に時間を掛けるし、E組の守屋先生は問題を起こした生徒を大目に見て、注意で終わってしまうため、何度も問題を起こすと言われているようだ。しかし、この時期だから、居残りさせるわけには行かないだろうと先生が言っていてね」それはあるなぁ。こんな時期にそれをしたら、苦情が出てしまうだろう。
「だから、注意してくれ。ああいう人がいたら、先生に報告する事にはしてあるから」と言われてうなずいた。永峯君が行ってしまったあと、
「あいつらの点数張り出してやりたいよ」とそばの男子が怒っていて、
「シー、言うなよ。内緒の話なんだからな」とひそひそ言いあっていた。
「あの子、先輩に振られてから性格が戻ったみたいね」と近くの女の子に言われていた。

 いつ問題が起きてもしょうがないなと言うぐらい、ピリピリしている男子もいた。周りの会話も「滑る、落ちる」と言おうものならにらまれる状態になっていて、単語帳をめくっている男子は多くなっていた。
 面接練習の前に見本を見せることになっていて、先生が説明していたら、
「佐倉」と呼ばれたのでそっちを見たら、半井君が廊下にいた。先生を手招きして、何か小声で言っていて、「いや、しかし」と先生が困っていた。
「面接練習は受けさせたいと思っていますけれど、その前の練習は自力でないと無理ですから。友松先生の許可は取ってあります。そばでやりますが、気が散るでしょうし」と半井君が言って、
「うーん、そう言われたらそうだな。お前たちだけでできるか?」と先生に聞かれて、半井君を見た。
「そのほうがいいでしょう。お願いします」と言われて、先生が困った顔をしていたけれどうなずいていた。
「最初に説明をするから、それは一緒に聞いていなさい。注意事項がある。見本を見せるし」と言われてうなずいた。三井さんたちがひそひそ言いあっていて、
「えー、じゃあ、始めるから」と先生に言われて、
「どうして、半井君が?」とそばの女の子が聞いていたけれど、
「こっちを見なさい」と言ってやり始めた。
 お辞儀、ドアの開け方、入り方などを丁寧にやり始めた。座るところまでをやっていて、
「一人一人やってもらうことになる。みんな各自、練習してみなさい」と言われて、半井君を見た。
「じゃあ、向こうで」と言ったので、
「寒くないか?」と先生が心配していたけれど、仕方なく外に出た。

「ねえ、何で半井君がこっちに来るんですか?」と気になった女の子が先生に聞いていて、
「あー、うるさい。あいつらは特別練習が必要だからだ。お前たちとは別にするしかない」と言ったため、みんなが面白くなさそうだった。
 廊下にいたら、半井君が説明してくれた。
「ドアを開ける締めるなどは日本ほど細かくないかもしれないが、動作はきびきびと堂々としていた方がいい。それより、目線、声の大きさ、受け答えの方が重要だ。お前の場合は通訳として母親が同席するだろう。合否は関係ないが、カウンセラーの先生には何度かお世話になるだろうから、心象はよくしておいたほうがいいな」
「そうかもしれないけれど」
「先生と英語で、しかも自分で説明しないといけない事はいくらでも起こるだろう。母親がいない場面で話さないといけないこともあるだろうから、せっかくだから、この機会にやったほうがいい。実際の先生と面接した方が緊張感があっていいからな。俺の方も同じ事をする。おまえが立ち会え。お前の方には俺も立ち会うし」
「どうして?」
「見本を見ないと困るし、お前の方は俺がチェックしないと先生だと分からないと困る」
「そういう理由なんだ」
「先生には日本語で質問してもらい、お前は英語で答える。それで練習する」
「できるかな?」
「かなじゃない。やるんだ」と言われて、
「OK,teacher」
「お前の場合は心配だよな。あらかじめ受け答えは用意しておけ。今はまだ、簡単な質問だけするから答えろ」と言われて、
「Yes,teacher.」と答えた。
「☆お待ちしていました、どうぞお座りください」と英語で話して、「ここで座る」と日本語で説明した。
「☆わかった」
「☆どういう理由でわが校に入りたいのですか?」と英語で言ってから、「ちょっと違うかも、まぁいいや。答えろ」と聞かれて、
「☆英語を勉強したいからです」
「ちょっと弱いな。母がこっちに住んでいる事、それから、何を学ぶかはもう少し膨らませろよ。次、英語がどの程度話せるかだな」と言われて、
「どうやって言おう」
「どうせ、テストはあるから聞かれないかも知れないけれど、考えておけよ。誰かに似たような質問はされるだろうしね」
「そう言われたらそうだね。ちょっと、でいいかな?」
「微妙だな。実際はもう少し上達していた方がいいけれどね。語学学校も入るわけだし」
「そうだね。それってどれぐらい上達できるのかな?」
「ああ、あれね。ピンきり」
「え、どうして?」
「やる気がある人とない人の差が大きいってこと。途中でやる気がなくなる人もいるし、色々」
「なるほど」
「お前と同じように最初に語学関係のスクールに行く人はかなりいるよ。でも、久実さんと弟ぐらい差が出るという話だ」
「そうなんだ」
「とにかく、時間を守る事と、姿勢、声に気をつける。目を見て話す。勧められてから席に座る。分かったな」と言われて、
「☆わかった」
「よろしい、じゃあ、☆どこの国から来ましたか?」
「えっと……」
「駄目。えっとは言わない。やりなおし」
「☆日本からです」
「それぐらいはスラスラ言えるようにしておけ」とにらまれて、
「☆あなたの長所と短所を教えてください」
「え、長所?」
「それぐらい考えておけよ。いくらでもあるだろう。英語を学ぶ事に付いて前向きに取り組んできましたとか入れて膨らませろ。短所は素直に言うなよ。弱気に取られる。普通は短所は聞かないけどな」
「なるほど、そうかもね」
「☆どういう教科が好きですか?」
「それって困るね。数学嫌いだし、後は似たり寄ったり、国語は向こうにないし」
「考えておけよ」
「☆何かこの学校の事で聞きたいことはありますか?」
「なんだろう?」
「それは母親が質問するかもな。最後に感謝の言葉を入れる。分かったか?」
「はい」
「思いついた限りしか言ってないけれど、考えておけよ、それぐらいはね。」
「Ok,boss」
「また、ボスかよ」とぼやいていた。

「ねえ、どうして半井君が来てたの?」と緑ちゃんが寄って来てうるさかった。掃除が早めに終わったのかこっちに来て、何度も聞いていて、
「やめたほうがいいよ」と本宮君が言ってくれてもやめなかった。
「彼って、どこを受けるの? ひょっとして、推薦かなにか?」と聞いていた。
「やめろよ。好奇心で聞いてそれを言って歩く。先生が注意しても何でやめないんだよ」と男子がピリピリして怒り出した。慌てて、
「やだー、怖い」と逃げて行った。
「なんだよ、あれ」とまだ怒っていた。
「やめようよ」と女の子が見かねてなだめていた。
「なんで、半井ばかり注目されるんだよ。俺だって、がんばってるのにさ」とそばを通りかかった男子もうるさかった。
「お坊ちゃまなら、どこでも推薦で行けばいいさ」と言ったので、彼もやっかまれるかもしれないなと心配だった。

「半井君、どこを受けるの?」と聞かれても、彼は無視して教科書を入れてさっさと立ち上がった。
「女引き連れて下校か。両手に花でいいな」と男子が嫌な顔で笑ったら、半井君がじろっと見た。
「まったくよ。何が王子だ。コネか何か知らないが特別扱いもいいところだ。俺たちとは違うらしいなぁ」と言われてしまい、前園さんも見ていた。
「光鈴館か?」と聞いたため、
「違うさ」と半井君が素っ気無く答えたため、前園さんが驚いていた。
「ライバル、一人減ったね」とほくそえんでいて、
「ひどい」と女の子が睨んでいた。
「いいじゃない、そんな言い方しなくても」
「実際、あるね。こいつが一人いなくなればそこに一人入れる」
「そういう考え方は」とみんなが困った顔をしていて、半井君はさっさと教室を出ていた。

 彼が来ていると思い美術室に入ったら、誰もいなかった。うーん、また追いかけられているのかもと思い、戻ろうとしたら、後ろに人がいて、ぶつかってしまい、
「ごめんなさい」と思わず言った。
「あ、あの」と眼鏡をかけた三つ編みの女の子がいて、
「あの王子……いえ、先輩とお付き合いしてるんですか?」といきなり聞かれて驚いた。
「あの、これ、これを」とラブレターを持っていた。
「彼に渡すの?」と聞いたら緊張しながらもうなずいていた。
「ピアノ、好きだから……。あの……でも……私がいると弾いてくれないから」と言ったので、じゃあ、この子がピアノを弾いていた子なんだなと気づいた。
「先輩、好きです。あの……わたし」緊張しているようで、私に言われても困るなぁ。
「なにしてるんだ?」と半井君が戻ってきて、
「あなたに渡したいものがあるって」と言ったら、困った顔をしていて、その女の子が半井君に、
「これを」とまるで神棚にささげるようなかしこまった態度で両手でラブレターを差し出していて、
「悪いけれど、応える気はないよ」と半井君が受け取らなかった。
「可哀想じゃない。あなたのことが好きだと言ってくれているし」
「俺の何が好きか分かってないと思うね」
「いいじゃない。一生懸命書いたんだよ。読んであげるだけでも」
「気がないのに、その気があるようなそぶりは見せるほうが気の毒だろう」
「せめて、気持ちぐらいは受け取っても」
「やだね」とへそを曲げていた。裏で何かあったな。
「あ、あの、すみませんでした」とあの子が駆け出して行ってしまい、でも、途中で派手に転んで、また、立ち上がっていた。
「あいかわらずドジ。お前よりひどいぞ、あいつ」と半井君が言ったため睨んだ。
「そういうことは言わないの」
「ああいう場合は却って受け取らないほうがいいぞ。社交辞令≪しゃこうじれい≫も真に受けるタイプ。うっかり、受け取ったら気があると誤解されたことがある。生真面目でドジで空気が読めないタイプ」うーん、そう言われたらそうかも。
「だから、最初に言っておいたほうがいいな。昔、懲りたから」
「よくおモテになりますねえ、さすが先生」
「うるさい。さっさと入れ」と怒鳴られてしまった。
「機嫌が悪いなぁ」
「面接の練習が特別だったからとうるさくなっただけだ。お前の言うとおり言わなくて正解だな」
「いや、どちらかと言うとこの時期だからじゃないの。私立は決まったけれど、公立は最後にもめてる人がいるし」
「あてこすりされた。光鈴館か、嵯峨宮か聞いてきて、うっとうしい」
「ふーん、どの辺なんだろうね」
「さあな。もう関係ないじゃないか」確かに。
「それで機嫌が悪いの?」と聞いたら睨んできた。
「なに?」
「あいつ、梅山なのか?」と聞かれて、拓海君の事だろうなと気づいたけれど、
「えっと……」どう答えようと迷っていた。
「ふーん。そうか、梅山じゃないんだな」と言い切られて、なんで分かったんだろうと思ってから、
「あれ、それがどうしたの?」と聞き返した。彼が面白くなさそうに本を取り出していた。
「ノート」とにらまれて、慌てて日記のノートを渡した。
「先生、何故機嫌が悪いか聞いてもよろしいでしょうか?」
「あいつに負けたくないからね」と言われて、
「それがあなたと何の関係が?」と聞いた。
「☆彼は俺のライバルだ。そして、彼の結果は私にとって重要だ」
「☆なぜ?」
「☆お前、鈍いな。俺の恋人候補としては鈍すぎる」と言われて、意味がちょっと分からなかったけれど、
「なんだか馬鹿にされているね。鈍感ってこと?」
「ふーん、それぐらいは分かるんだな」
「機嫌が悪いなぁ。早々と退散しよう」
「まだ、あるだろう。課題」
「☆残念ながら、私は今行かないといけないので、またね」と行こうとしたら、
「待った。足りない」と睨んでいたので、
「☆あなたは素敵な少年なので、そのような小さい事は気にしないで」
「ふーん、そう来たか」と言いながらうれしそうで、
「どうせほめるなら、cool boyと言えよ」と言われて、
「どうして?」と思わず聞いたら、
「キュートとクールで調べてみたら」と笑っていた。

 帰る時に拓海君が、
「そろそろばれそうだよな」と言ったので、それはあるかもと思った。
「あいつと何してた? みんながうるさかった。気になるのは当然だけれど」と言われて、小声で説明した。近くに人がいたからだ。
「また、あいつはハードルが高い事をさせて。あいつと同じにはできないだろう」
「実際に、そういう場面があった時に緊張感が出るから馴らすためだろうね。仕方ないよ。彼は色々考えてくれているんだし」
「それで、またやっかまれるぞ。特別扱いだって」
「別扱いなだけなのに」
「仕方ないさ。ピリピリしてるのはある。親だって神経質になってきてるところが多いようだ。『風邪を引かないように、どれぐらいできているの、間に合うの?』 毎日言われてるとさすがにね」
「いいなぁ、心配してもらえて」
「遠藤と逆だな。あいつの場合は逃げたくてしょうがなかったようだ」
「どうなったの?」
「注意でおしまい。話し合いはしたそうだけれど、どうなったか聞いてない。立ち入れないからな」それもそうだな。
「でも、難しいさ。親も焦りがあって、子どもがよけいに焦る。そうなると悪循環。どんどん機嫌が悪くなる。ビクビクしてるとよけいにね。爺さんに聞いたらそう言ってた」
「そうなんだ?」
「止める人、明るい人、空気を変えてくれる人がいれば別だってさ。あいつのそばにはいないんだろうな」
「先生が止める訳には」
「無理だ。注意でおしまい。『よけいな事に口を挟まないでくれ』と言われるらしいよ。だから、それ以上立ち入れなくなると言っていたけれど」
「難しいんだね」
「クラスもそうだぞ。宮内に言われたようだな。あの後、点数が出回ってるからね」
「誰の?」
「あのグループの女子、全部。誰が流したかは知らないけれど、点数が出回ってると聞いた。内容は聞いてないけれど、桃が小耳に挟んだ。やばいかもなぁ」
「どうして?」
「仕方ないさ。いくらがんばっても納得するレベルに到達するという訳にはいかない。目の前で桜木みたいなやつがいたら焦るさ。そういう状態で無責任に言って歩くタイプがそばにたらイライラするのかも」
「うーん」
「困ったことにならないといいけどな」
「そうだね」としか言いようがなかった。

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