先輩の試合

 山崎君に次の日に電話で呼び出されて、夕方にお爺様の家に行った。
「悪いな」と玄関先で待っていてくれて庭に回った。。
「蚊が多いね。中に入ろうよ」と言ったら、笑っていて、網戸を開けて、そこから家に入った。
「いい加減、玄関から訪問してくれ」とおじいさんが笑っていて、
「無理」と山崎君が簡単に言った。
「爺ちゃん、庭木切れよ。蚊が多いよ」
「しょうがないだろう? 周辺は山というか丘というか木がいっぱいなんだしな。この辺は、まだアパートも人家もまばらだ」確かに、そういう地形だった。高台にあるため見晴らしは良かったけれど、周辺に家が少ないため、夜歩くのは物騒だろうなと思った。だから、あまりこっちに来る人もいない。私も懐かしい気がして行ってみたくなったけれど、そういう理由でずっとこっちを歩くことはなかった。
「ばあちゃんが生きてたときは、いそいそとうれしそうにやってたくせに」
「頼まれたからだ」
「仲が良かったよなあ。祖母ちゃんも爺さんとうれしそうに暮らしてたのは覚えてるけれどねえ」
「お前は、細かく覚えすぎだ」
「そうなの?」と聞いたら、困った顔をしていて、
「その頃は楽しかったからな。だから、よく覚えている」
「ガールフレンドもいたしな」とおじいさんが言ったので、
「嘘ー、今と逆だね」と思わず言ってしまったら、おじいさんが声を上げて笑っていて、「そういうことを言うなよ」と言う顔でおじいさんを睨んでいた。
「とにかく、お前もゆっくりやればいいさ。お母さんの話はお父さんにしたのか?」
「さすがに話したよ。内緒にするわけにいかないから」
「それでなんて?」
「二度と会うなって怒られた」
「なんでだろうな?」
「よく分からない。逃げてたの。ずっとね。おばあちゃんとも仲が悪かったようだしねえ、聞きづらいなあ」
「昨日話しに出てきた友人の永井って人には?」
「よく知らない人に身内の話はしたくないなあ」
「そうか」
「お父さん、機嫌が悪くなっちゃったし困った。お母さんと余程何かあったんだろうね」
「それは面白くないだろうな。自分や子供より仕事を取ったんだろうから」そう言われるとそうか。
「捨てられたってことなんだ。私とお父さん」
「そういう言い方は」
「だから、怒ってるのかなあ」
「お前は?」
「なんだか、昨日の話を聞いても人事≪ひとごと≫というか、自分の事と思えないの。どうしても。あの人が母親だと言うこともまだ信じられない。どこも似ていないし」
「似てるだろう?」
「どこが?」
「背も高かったし、体型も似てると思う。顔かたちは化粧してたし、ちょっと濃かったからなあ」そう見えたのか。
「声は似てたよ。性格はあっちはさばさばしていたけれど、アメリカ暮らしで仕事してたら、ああなるだろうし」細かく見てるなあ。
「それから、お前のことは本当に心配そうだったのは確かだ。何度も見ていたからな」うーん、そんな余裕はなかったぞ。
「思い出せそうもないか?」
「昔のこと? そうだね。覚えていないの。断片的にしか、しかも、それ以上思い出そうとすると頭が痛くなってね」
「保育園は思い出せないのか?」
「全然」
「どこの保育園か聞いてみてもいいな」
「聞けばよかったね」
「お父さんなら知っていそうだな」
「幼稚園に行ってたのなら、ミコちゃんとも会ってたんだろうね」
「でも、同じクラスとか、よほど仲が良くなければ覚えていないかも。一緒に遊んだとか」
「遊んだ記憶は公園のだけだよ」
「そうか……」と心なしか、がっかりしているようだった。なんだろう? 
「そう言えば、聞きたい事って何?」
「いや、大方は聞いたからいいよ。そのうちまた出てくるとは思うけれど」
「そう、ごめんね。付き合ってもらって、よく分からなくて。自分の事なのに、駄目だね」
「誰でも、戸惑うさ。記憶にも残っていない母親が突然現れればね」おばあちゃんにも聞きづらいなあ。おじいちゃんが生きていたら聞けたのに。とぼんやりしてしまった。自転車で送ってもらって、
「下三軒だと自転車でも遠いよね」
「それほどでもないぞ。段つきの自転車だからな。それに、結構楽しいからいいよ。あの坂を上りきると達成感があっていいから」男の子って変だなあ。
「あっちの方は行った事ないなあ。上も、中も三軒町は行った事ないし、南にある県営住宅も、団地も行った事ない」
「この辺りは?」
「全然」
「そうか、一度回ってみてもいいな。時間が空いたら一緒に行ってやるよ」
「でも」
「探検って小学校ならやるからな。この辺はそう言えばやっていないから、面白そうだ。そうしよう」と笑ったので、
「そういうのが面白いの?」と聞いてしまった。
「子供のころに戻ったようでいいからね」
「向こうの小学校は?」
「こういう感じではかったよ。団地が並んでいてね、どうもね。こっちが懐かしかった」
「そう言えば、この辺に住んでいたんだね。どこなの?」
「そのときに案内するよ。じゃあ、夏休みにそうしようぜ。どうせ、宿題ものんびりしてやらなさそうだから、爺さんのところで一緒にやればいいよ」と言ったのでうなずいた。

 夏休みに入る直前に試合があった。引退試合だ。先輩達はそれでもがんばってやっていた。山田先輩が少し拗ねていたけれど、それ以外の人はそれどころじゃなくて、みんなががんばってやっていて、私は大林先輩の最後の試合をずっと見ていた。メモを取っている人がいて、小平さんが細かく書いていた。熱心だなと思った。美鈴ちゃんもそばにいて、彼女は一年の時に同じクラスで、選手に選ばれなかったため、今は必死なのか話ができなくなってしまった。小平さんとも仲がよく、相談しているようだった。グループは主に2つか3つに分かれる。一之瀬さんたち3人とそれ以外か、更にそこから二つに分かれる。選手とそれ以外と。私は選手候補以外のほうが仲がよく、今は話せなくなってしまったため、寂しかった。
「あああ、また負けちゃったじゃない」とこともなげに一之瀬さんが言っていて、でも、先輩が来た途端、
「惜しかったですねえ」とゴマをするように言ったため、あまり好きになれないなあと困ってしまった。ほかの子の顔を見たら、同じだったので、言わないだけで、そう思ってるのかもと見てしまった。
 先輩達があっけなく負けてしまい、名残惜しかったらしく男子の方に応援に行った。いつもだとさっさと帰ってしまう。久世先輩以外はあまり男子と話さない。私はいつものように中山先輩のそばにいた。部長と、この人が話しやすいからだ。残っているのは小清水さんと楢節先輩のペアだけだった。
「最後の試合だなあ。お前、花束ぐらい用意しておけよ」
「そういうのは用意して待っていそうだけれど」
「だれが?」
「彼女が」
「お前じゃないのか?」
「……ああ、そう言えばそうでしたね」
「お前らの付き合いがわからん。時々、あいつも同じことを言うからな」
「それだけ、希薄《きはく》なんでしょう」
「なんだよ、それ」と周りが笑っていた。だって、一緒に帰るだけだからなあ。それ以外、電話とかデートとか一切していないから、そういう実感がゼロだなあ。それでいったら、山崎君の方が休日とか会っている。意外と優しくて気を使ってくれているようだ。きっと、また嫌がらせとかあったらいけないと心配してくれるんだろうと思った。弘通君もそういう意味では何かと気を使ってくれて話しかけてくれて、心配してくれていた。友達が彼のことを好きだから、悪いなと思いつつもつい、話してしまう。優しくて気配りができて、穏やかなあの笑顔で話していると癒される感じでいいよね。友達の紀久ちゃんに悪いなといつも思ってしまう。紀久美ちゃんが彼のことをずーと片思いで、去年の冬、やっと勉強を教えてもらえることになってすごく喜んでいた。今はまったく違うクラスなので話す機会がなくなって、時々彼に会いたいらしく遊びに来たときに話すようにしていた。弘通君は去年、同じクラスで学級委員をしていた松永さんと怪しいと紀久ちゃんが心配していたけれど、今年はクラスが分かれたため、あまり話していないようで、でも紀久ちゃんは、心配らしい。そのせいもあって、まだ告白していないらしい。『早く言わないと』と言ってはみたものの、彼女も『駄目だったらどうしよう』と迷っているらしかった。気持ちは分かるなあ。山崎君が武本さんが苦手と言ったとき、ちょっとほっとしてしまった。私って嫌な子だなあ……と落ち込んだけれど。
「しかし、女子は応援に熱入っていないなあ。なんで、結城《ゆうき》に集中するんだ」と先輩達が睨んでいた。応援そっちのけで結城君が囲まれて話していたからだ。結城君は今年入ったテニス部員の中で一番有望だと言われている。背も高く、前衛でもいけそうだけれど、サーブも速くて、俊敏な動きらしい。
「うちの中学じゃ、宝の持ち腐れ」と先輩がすごいことを言っていたけれど、見た目もかわいいというか、いけていて、女の子が何度か噂していた。うちのテニス部は楢節先輩以外はあまり背は高くない。「中山先輩と楢節先輩以外は対象外だよね」と言い切るぐらいだ。「あまりカッコいい人はいない」と一之瀬さんが言ったのを、誰も否定しなかった。
「しかし、最後の試合ぐらい飾りたかった」
「無理だよ。練習時間が多くても、4月までまともにやっていなかった。少しは強くなってくれよ」とみんなが笑っていて、楢節さんも少しは熱心にやれば残れそうだよねと見ていた。
 試合が終わって、結城君と一緒にみんなが楽しそうに帰ってしまい、先輩と少しだけ話していた。
「なんだか、あっけないもんだ。これで女の子にも時間が割けるな」
「言うと思った。先輩の本命もそろそろ本腰ですか?」
「本命ねえ。ところで、お前のほうはどうだ? また目撃談が入ってきたぞ」
「なんの?」
「山崎と外車でデート」
「ああ、あれねえ」
「なんだよ」
「ま、色々ありまして」
「ふーん。この学校で外車に乗っているような金持ちって、うちぐらいだと思ってたよ」
「先輩の所はお金持ちですねえ」
「名刺《めいし》代わりだよ。見栄があるから」よく分からない。
「恋愛の方も少しは成長しろよ。テニスもね。もう、一緒に帰れなくなるからなあ」
「そう言えば、そうですね。今日でお別れですか?」
「淡々と言うなあ。どっちでもいいぞ。俺に取っては隠れ蓑があったほうがほかの女と別れやすい」
「呆れる人だなあ。いいですよ、こっちもね。どうせ、何をしたって言われるなら同じ事」
「あいつと付き合わないのか?」
「誰の事ですか?」
「山崎」
「彼が私なんかを相手にするわけないでしょう? クラスメイトだから、色々心配してくれるようで、それだけですね」
「そうか?」
「ちょっとありましてね。それで、心配してくれてるんですよ。クラスでも嫌がらせがこの間まであったから」
「ふーん」
「不幸な女好きの男子が別の不幸な人を見つけてからは終わりましたけれど」
「なるほど、同類集まるってことか」
「さあ、気持ちを分かってほしかったんでしょうか」
「そうだろうな」弘通君が少しだけ、そう言っていた。「だから、気にしないで」と言ってくれて、うれしかった。彼は誰にでも優しい。
「先輩ももっと世話を焼いたら、モテモテですね」
「俺の性分《しょうぶん》に合わん」でしょうけれど、
「どうします? お別れします?」
「一応、継続。ということにしておこう」
「そうですか。ま、どうせ、つかず離れずいっても、今までと同じですね」
「会えなくなって寂しくなったら、いつでも教室に来いよ」
「えー、3年生の教室は嫌だなあ。修学旅行に専念してくださいよ」
「俺は受験優先、女の子はそれなりに変える予定だ」
「勝手にしてください」
「つくづく、俺に興味がないよなあ。あいつのせいかもなあ」
「誰?」
「山崎。どこがいいというのか」
「さあ、先輩との違いは」
「違いは?」
「優しさですね」
「お前、それを言うと、俺が冷たいみたいじゃないか」とぼやいていた。

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