昔の恋人

 次の日も光本君たちと話していて、弘通君の字をジーと見つめてしまった。本当だ。気づかなかった。そうだ、あの綺麗な字と一緒だ。誠実で真面目そうで、そうだったんだ……と見ていたら、
「どうかしたのか?」と須貝君に言われて、
「綺麗な字」と言ったら、
「確かにな。お前、字に性格が出てるよな」と光本君が、適当に絵を描いていた。彼は演劇部に頼まれて、背景以外の細かい道具などの絵を頼まれている。昨日もダンボールに描いていて、今日は別のものを描いていた。
「草むらとか、そういうのは適当に色を塗ればいいけれどなあ。大体、タイムマシーンってどうやって描くんだろうな?」と言っていた。大きな背景は美術部が描いてくれるらしく、まだ見ていなかった。
「一週間前から描き始めるって。絵コンテぐらいは見に行ったほうがいいかも」と言いながら描いていた。
「それにしてもさあ。演劇部って昔は熱心だったんだろう? 衰退《すいたい》の一途を辿《たど》っていくなあ」
「それはあるな。顧問が変わったらそうなる」と言い出して、夕実ちゃんが、
「聞こえないところで言って」とぼやいていた。私は弘通君の字をジーと見ていたため、
「どうかしたの?」と弘通君に聞かれてしまい、
「何でもない」と言って机に伏せた。困ったなあ。前にそうと知らずにラブレターの事を本人に話しちゃったなあ。悪いことをした。いつも相談に乗ってもらってるから、つい、あの時も言ってしまった。困っただろうなあ、弘通君。彼は普通にしててくれるけれど、返事なんて今更しようがないしね。それになんて言っていいかも分からない。今の私には、弘通君だろうと山崎君だろうと何も言えないなあ。
「佐倉が昔の恋人だってことでいいのか?」と遠くから聞こえてきた。
「意外だった。同じ小学校だったのか。そういうことは早く言え」とやっていて、同じやり取りが聞こえたらしくて、
「違うんだろう? 山神ってどこだ?」と光本君に聞かれて、
「T町だよ」と答えたら、
「田舎とか言わないよな?」と聞かれて、
「山と川があり、絵に描いたようなガキ大将がいて、先生と一緒に蛍の見学に行けるような……都会」
「どこが都会だよ」とみんなが笑っていた。
「そうなんだ、こっちも田舎だけれどね。畑と田んぼが多いよな」と弘通君と須貝君は同じ小学校出身なのでうなずきあっていた。
「そうだよね」と朋美ちゃんも同じなので笑っていた。
「そうなんだ? こっちも今住んでいる所は同じかも。昔住んでいたときは、周りに住宅がなくてね。空き地ばかりだったんだって」
「あれ? 昔も住んでいたのか?」と光本君に聞かれた。
「そうだよ、風見ヶ丘という名前はいいけれど、ただの丘だったらしいね。シロツメクサがいっぱい生えててね。近所に住んでいる人も少なかったらしいけれど」
「そうなんだ。ここの一番近くの小学校だろう?」
「一応ね。でも、遠いよ。自転車使えないから、遠くて困るなあ。坂を上らないといけないし」
「こっちは行きはのぼり、帰りは下り」と須貝君が笑った。
「自転車いいなあ。こっちも使いたい」
「前の学区だと遠いのに中学校は一つしかないから、みんなかなりの距離を歩くんだよ。それよりは楽だけれど」
「なんだ、こっちに住んでいて、向こうに行ったのか? それで戻ってきたんだ?」
「そう、色々あってね。あのまま向こうにいたほうが、きっと体力だけは付いたね。でも部活があまりに少ないから嫌かも」
「少ないのか?」
「縄跳びとバレー部と鼓笛隊の3種類しかなかったよ。中学はテニスと卓球が増える。後は美術」
「なるほどなあ」
「プールより、川で遊ぶような所だもの」
「田舎じゃないかあ」とみんなが笑っていた。

 休み時間は須貝君のそばに集まって、色々話をしていた。お弁当を食べるときに珍しく桃子ちゃんがこっちに来た。
「珍しいね」と言ったら、
「最近、そっちのほうがうらやましい。交代しようよ。詩織がこっちに来て、山ちゃんと話して、私がこっちに来る」とぼやいたので、むせてしまった。
「そのほうがいいかも」と夕実ちゃんが笑ってた。
「本当のことなの? 昔の彼女って」とあかりちゃんが通りかかって、何度目かのその質問をぶつけてきた。
「違う」もう聞きたくもなくてそう言ったら、
「そんな顔しなくても」と言いながら自分の席に戻って行った。
「何度も言ってるのに」
「でも、山崎君が」
「デマだ」
「そうなの?」と聞かれて、ため息をついた。昼休みも彼の方が囲まれていていっぱい聞かれていて、私は光本君達のそばにいたけれど、疲れたので廊下の窓のそばでため息をついていた。
「どうかした?」と弘通君が笑って寄って来た。
「昔の記憶ってどうやったら思い出せるかなあ?」
「記憶? さっき言ってたこと?」と聞かれてうなずいた。昔の小学校の話を山ほどさせられて、お互いに話をしていて、幼稚園や保育園にまでさかのぼったときに、私だけ記憶がなかったため、みんなが驚いていた。みんなしっかり覚えていて、そうなんだろうか? とショックを受けたため、こうやって廊下で考えていた。
「幼稚園の記憶がなくても、おかしくはないよ」
「そう思いたいけれど、ない人のほうが少なかったね」
「それはね。宿題がない時代だからだと思うよ」と笑ったので、確かに遊んでいるだけだから、楽しかったのかもしれないなあ。友達の話を聞いたら、遊具で遊んだとか、お遊戯したとか、私はほとんど覚えてなくて、でも幼稚園の先生が初恋だと言った光本君を見て、『記憶力があまりよくない』と言い切った彼までそういうことを覚えていたため、かなりショックだった。山崎君がびっくりするのも当然かもねと考え込んでいた。
「方法はあると思うけれどね」
「え?」
「催眠術ってきいたことあるだろう?」
「ハンドパワー」
「違う。それはマジックだよ。テレビでやってるのはちょっと誇張しすぎてるからあまり参考にならないけれど、退行催眠というのがあるはずだよ」
「なにそれ?」
「昔にさかのぼる事が出来るんだ。催眠状態にしてね」
「へえ、なんだか怖いね」
「素人には無理だよ。専門家でないとね。と言っても、俺もそこまで詳しくないけれど。そういう類の本を読んだ事があってね、でも、詳しくは載っていなかった」
「ありがとう、調べてみるね。催眠かあ。あなたはサルになるとか、このすっぱい梅干が甘くなるとか言うのならちょっと見たことあるけれど」
「だから、テレビでやっているのは本当かどうかは良く分からない。出演者だって、そういう雰囲気だから掛かるのか、掛かった振りしているかよく分からないけれどね。あれも、予備催眠と言ってあらかじめ、掛かりやすい状態にしておいてから、始めるらしいよ。でないと無理だと聞いた事あるね」
「誰に?」
「おじさんだよ。医者だからね」
「へえ、すごいね」
「でも、あまりお勧めはしないなあ。そういう記憶って忘れてる場合は、色々問題を抱えている場合もあるし、思い出したくない記憶がある場合もあってね」と言いにくそうに言ったため、
「ああ、それはあるかもしれないなあ。母と別れたのがそれぐらいだったみたいで」
「そうか」と弘通君はそれ以上は聞かなかった。

 部活に行ってからも、色々うるさかった。困ったのは一之瀬さんが練習しなくなったことだった。ロザリーたちと男子と話して遊んでいた。
「何、あれ? やる気なくしてさあ」
「でも、気持ち分かるなあ。自信満々だったのに。蓋を開けたら、負けちゃってね。勝ったのって菅原先輩の所だけだもの」
「でも緊張したよ」と菅原さんが言ったら、
「それは誰でもそうですって」と後輩が笑っていた。最近は後輩とも話せるようになり、色々話していた。目的意識が違うのがハッキリしたため、やる気がないとは取られなくなり、みんな言いたい事を言い出したのだ。体力をつけるため、友達を作りたい。本当はバスケが良かった、とかすごい事を言い出していて、バレーとバスケは紹介やスカウトで埋まるらしい。もし入れても「選手は無理」と言われるらしい。ハッキリしているよね。
「水泳は無理だし、吹奏楽は練習が長いし、個人でやらないと追いつけないそうだし、演劇部はとてもじゃないけれど」と後輩が笑っていて、
「そうなるとテニスぐらいしかないんですよね」とみんなが言い出した。どこも垣根が高いのね。
「そこまで考えずに来たなあ。漫画の影響」
「アニメもあるって」
「魔球は打てないよ」とみんなが笑っていた。確かにね。
「世界と戦える中学生はこの辺ではありえないって。夢物語だね」とわきあいあいと話していた。
 帰るときに、また、みんなに聞かれた。
「昔の彼女って先輩の事なんですね」後輩に着替えたあとに聞かれて、
「デマ」と仏頂面で言ったら、
「あれ? 試合会場で先輩が言ってたのに」
「え?」
「山崎先輩が言ってたじゃないですか。昔の彼女って言うのは……と言って、続きが聞けなかったけれど」そう言えば言ってたかも、
「あの続きって、先輩の事を言うつもりだったんでしょう?」ハハ、とても言えないぞ。
「嘘です」とうつむいた。とても言えない、ただの幼馴染っていうのを。
「違うんですか?」
「違います。彼とは小学校も中学校も違います」
「なんだ、てっきりそうだと思ってたのに」とみんなが安心するように笑っていたので、人気があるんだなと見ていた。

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