ぐうの音

 しばらく、考えていた。あの説明を聞いてから、色々悩んでいた。私のことを考えてしてくれたんだろうなとは思っていた。それに、母の記憶があったとしたら、憎んでしまっていたかもしれないとも思った。父は実際、まだわだかまりがあるように見えた。おばあちゃんの方が、むしろ淡々としていた。きっと、どこかで罪悪感があったのかもしれない。記憶って不思議だなあ……と思った。拓海君のことを見ていたときに懐かしいと感じたのは、気のせいじゃなかったのかもしれない。だとしても、母の記憶を取り戻す気はなれなくて、拓海君の方だけ思い出す方法ってないかな……と考えてしまった。思い出したかった。でも、母のほうは思い出すことはしたくなかった。私にとって、あの人は家族というより、どこか淡々とした感じだったからだ。きっと、記憶がないからだと思っていたけれど、ひょっとしたら、母のことをみんなが困った人だと思っていたから、その思いが私に伝わって、そうなっているのかもしれない……と感じていた。どうしたらいいのかなあ?……とずっと悩んでいた。
 先輩に偶然に帰るときに会って、話を聞いてもらった。
「記憶ねえ。そんなに都合よくはいかないぞ。きっとな」
「でしょうね。どっちの記憶もあるから、難しいですね」
「いや、記憶より、感情の方が難しいぞ。その記憶に別の感情がよみがえることはあると思うし、そっちで苦しめられたり、色々複雑になっても困るからね。そのままにしておけ、お前が成長するまで待て」
「どれぐらいまで?」
「あの母親と付き合い方が決まるまで、周りの問題にそれなりに対処できるまでってことだな。今のお前は未熟すぎる」
「そうですか。そう言われるとぐうの音もでない」
「ぐう」言うと思った。
「だとしても、そのままにしておくと、拓海君の方も思い出せないってことですねえ」
「ほっとけ。楽しい思い出なら、そのうち思い出すさ。お前が思いださないってことは、今はその時期じゃないと軽く考えておけ、そのほうが楽だ」達観しているなあ。
「ま、お前はそのほうがいいぞ。それより、テニスは大丈夫か? なんだか、内部分裂しそうだぞ」
「どうして?」
「ロザリーだよ。すぐ上達しそうだぞ。お前ら、ちんたらやってるから、真面目にやってるヤツが来たら、すぐ負けるな」痛いと所をついてくる。
「一応、ペアも選手も決まっていないんです。百井さんとの息が合わないので、とりあえず、そこをやっていて」
「自分の方を優先しろ。お前は一つ一つは割と悪くない。あとは実践あるのみ、潔さを出せ。だから、試合形式をいっぱいやれ。それから、一之瀬は全ペアと組ませろ。一年生も入れて全部だ」
「でも?」
「そうしろ。百井も本当はやらせたほうがベスト。そうだな、全員変えてやれ。毎日だ。反省会はその場、その場でやれ。良かった点、悪かった点、短く3つに絞って言わせろ。それを徹底しろ。以上、海星中学期待の星より、忠告でした」と言ったので、
「前半はいいのに、最後にそれをつけないで下さいよ」と言ったら、
「話に落ちは必要だ」
「関西人になったんですか? 『どついたる』と言われますよ。でも、『どついたる』の、『ど』はなんだろう?」
「今度、いとこに聞いておいてやるよ。正月に会うから」いたんだね。やっぱり。
「『茶をしばく』も聞いておいてくださいね」
「ああ、あったなあ。しかし、お前と話していると辞書になった気分」
「結局、なんだかんだ言って頼りにしてますねえ」
「お前はそういう相性だよな。ほっとくわけにもいかなくなる」
「どうして?」
「お手」と手を出したので、叩こうとしたら軽く避けて、
「ドンくさいヤツほど、かわいいってことだな」
「あのねー」と睨んでしまった。

 その日から、先輩の意見を取り入れて、試合形式を半分にした。基本の時間を少なくして、一年生の有望な子も混ぜてやり始めた。そうするとかなりの数が戸惑っていたり、大変だった。反省会もやってたけれど、3つどころですまない人が多かった。
「しかし、あの先輩もしっかり見てるよなあ」と帰るときに拓海君に言われた。
「まだまだ、甘いと言われちゃった。公認カップルへの道も遠そうだし、険しいと言われたの」
「よけいな事を」
「でも、あるよ。多分、認めてくれないな。幼馴染ってことは理解はしてくれていてもね」
「それはあるな。お前が悪いぞ。まず、お前が認めろ」
「えー、わたしのせいなの?」
「どこかで遠慮している。ほれ、言ってみろ。この間、言っていたことをここで」
「道端で言えるわけないでしょうが。とにかく、漬け込まれないようにするには自信をつけろってことでしょう? 自信ってどうやったらつくかなあ。勉強もテニスも全然駄目だし」
「どこがだよ。お前は一応選手だし、勉強はしていないほうが悪い」
「だって、授業だけで精一杯で、家でなんか宿題しかやらない」
「言うと思った。それでも、一応平均は取れるんだな?」
「テスト勉強は直前にやってる。山をかけるタイプの子もいるんだね。碧子さんもわたしもそれなりだなあ」
「蔵前とあかりはそれすらやってなさそうだなあ。だけれど、そろそろやると言ってたよ。戸狩は毎日やってるし、真面目な仙道はがんばってるし、観野はテスト期間以外もてきぱき型だしな」なるほど。
「お前は面倒をみないといけないな。俺の家でやるか? 爺さんのほうでいいからやろうぜ」
「そう言われても、ご迷惑じゃ」
「遠慮するな。そういう仲じゃないからね。デートもしないとなあ。いつまでもお庭で語り合うじゃあ、ちょっとなあ」
「えー、見られたら困るのだけれど」
「今でも、十分見られている」と周りを見ていて、私も見たら、チラチラ見ている男子や女の子がいた。
「恥ずかしいかも」
「ここの地域って男女交際が少ないから、注目されやすいかもねえ」
「前のところは?」
「だって、男女区別なく付き合う地域だから、女友達も多くなるよ。だから、自然と2人になる場合もあるしね。でも、こっちより多いよ。ここは少ないかも」
「前の中学、高校生が、親も親戚もうるさくて、付き合っただけで即結婚とか言うところまでいくんだよ。大げさだよね」
「それはあるだろうなあ。あいつらが言ってたじゃないか。少ないって。それに、農家の嫁になるのは嫌がらないか」
「そう言えば、道子は『なりたい』と言っていて、りっちゃんは嫌がってた。太郎のお姉さんは親戚の家に下宿してたし、農家に帰ってくるのは嫌がってたかも」
「ほらみろ、嫌がるんだよ。都会に憧れもあるんだろうしね。大学とか就職とかで通えないから、下宿とかするとなると、帰ってこなくなるぞ。そっちの男とくっつけばなおさらだ。だから死活問題なんだろうな。親ぐるみで小さい頃から言うのはありそうだぞというのが、o俺の親の受け売り」
「何言ってるの?」
「太郎達の話をしたときにそのことも言ったら、そう言ってたよ。親ってそういうことまで考えるんだなあ」
「なるほど、先の先まで考えての発言なんだ。でも、戻ることはないかもしれない」
「どうして?」
「難しいよ。お父さんの面倒をみないといけないもの。田舎では全員、一緒に暮らせないからね」
「それはあるな。なるほど、心配する必要はなさそうだな」
「何言ってるの? だいたい、あの時も変なことを言い出して」
「お前は約束を忘れてるからなあ。困ったもんだ」
「約束?」
「そのうち思い出してくれよ、それだけはね」と言われて、困ったなあと考えていた。

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